第499回:青空と白い水蒸気 - 近鉄八王子線 -
近鉄四日市駅の近くの、パチンコ屋の裏手のビジネスホテルに泊まった。このホテルは朝食が評判だそうで、そのつもりで遅い時間に出発するつもりだった。夜遊びをするゆとりもなく、昨夜は22時に寝て6時に起きてしまった。もう眠れない。幸いにも朝食時間が早いので、6時半からテーブルに付き、ゆっくりたっぷり腹を満たす。食後の珈琲をゆっくり飲んでも7時である。部屋に戻り荷物をまとめ、予定より1時間早く出発した。
今日は近鉄湯の山線に乗り、ロープウェーで御在所山に上り、四日市に戻って近鉄内部線と八王子線に乗る予定であった。しかし1時間も早く出ても、ロープウェーの運行開始時間は9時からだ。早く行って待たされるくらいなら順序を替えよう。先に内部線と八王子線に乗る。朝の通勤通学時間帯のほうが本数が多いから、乗り歩くには効率がいい。この調子だと、また予定が繰り上がっていきそうである。それもまた都合がいい。
今朝は近鉄八王子線からスタート
内部線の地上駅へ歩いて行く。昨日は駅ビルから階段を上がって降りてという道順だった。あれはかなり面倒だ。今日は地平を歩いて行く。開店前の近鉄デパートの前を通り、スクランブル交差点を渡り、近鉄の高架下を通り抜ける。昨日、予習しておいた甲斐があって、迷わずに改札口に着いた。通勤客が出てくる。学生さんたちが吸い込まれる。多くの都市鉄道で見かける風景であった。昨日は閑散としていたホームが混雑している。
この時間も内部線と八王子線が交互に発着しており、ちょうど内部行きが出発したところだった。次の電車は07時41分発の八王子線西日野行きだ。ホームが混雑しており、カメラを持って動きまわる状況ではない。3両編成の電車はどの車両も混んでいて、先頭車に立ち入る隙間はなかった。帰りの電車は空いているだろうから、まずは西日野へ行くまでだ。中間車。ドア付近に高校生が立っている。まさに乗り込むという感じだ。
中間車が古めかしい。1931年製。1977年に北勢線から転属
ホームは薄暗いけれど、電車はパステルカラーで、イエロー、グリーン、ピンクの順に並んでいる。遊園地のようで楽しげである。車内も高校生ばかりで、さぞ賑やかだろうと思っていたら、どんよりと重い雰囲気であった。学生さんは誰もが参考書やノートを開き、下を向いていた。期末試験の時期であった。大人は携帯電話に注目している。廃止対象の路線だけど、こんなに混んでいるぞ、という写真を撮ってみた。誰もが下を向いている。モザイクやぼかしは不要。記事で使っても苦情が来ないだろう。
沿線は住宅が多い
1両あたりの乗客は40人ほどだろうか。3両で120人。先頭車と後部車はもう少し乗っていそうだ。200人くらい乗っているかもしれない。近鉄はこの路線をBRTにしたいという。日中はともかく、この時間帯の乗客数をバスでまかなえるだろうか。途中の駅からも高校生が乗ってくる。電車は日永で右へ分岐する線路を選んだ。日永の次が終点の西日野である。ホームに人の流れができる。周囲と歩調を合わせて改札を通り抜けた。
コンクリート橋から鈴鹿山脈を望む
駅前広場はなく、線路の延長線上に細い道が続き、自転車がたくさん並んでいる。この路線をBRTにしたとして、バスが転回できる場所はなさそうだ。近鉄はどうするつもりだろう。駅のホームの反対側に空き地があるから、そこを買い取って整備するしかなさそうだ。あるいはもう地主に打診しているかもしれない。
そのまま学生さんの流れに付き合って細い橋を渡り、通りに出ると、その向こうに四日市南高校がある。その隣は中学校だ。なるほど、八王子線は四日市南高校のための通学路線と言って良さそうである。高校生の一団を見送って駅前に戻る。自転車だらけだ。これがすべて電車に乗る人のものなら、それだけの利用者がいるわけだ。この風景だけ見ると、廃止問題が取りざたされているとは思えない。今までいくつかの廃止予定路線に乗ったけれど、そこに漂う倦んだ空気がここにはない。この路線は活きている。
日永駅、八王子線に入る
ところで、八王子線は日永から西日野までの1駅間の支線である。しかし、かつてはさらに先があった。さっき四日市南高校の手前で橋を渡ったけれど、その橋の下を流れる天白川に沿って西へ1.5キロメートルほど先に終点の伊勢八王子駅があったという。八王子線の路線名の由来となった駅である。周辺は養蚕や酒造が盛んだったそうで、八王子線は産出品の出荷のために建設された。開業は1912(大正元)年であった。
開業後、昭和中期までは旅客輸送も順調だったようだ。しかし、全国のローカル線と同様に、高度成長期に入ってモータリゼーションの洗礼を受ける。内部線・八王子線が1965年に近鉄に合併される以前から廃止問題が持ち上がっており、1974年に天白川の氾濫のため全線で不通となった。なんとか西日野駅までは復旧したけれど、伊勢八王子までの区間は廃止となった。
自転車が並ぶ西日野駅前
そしていま、残った区間も廃止されようとしている。民間企業の近鉄は廃止したいと言い、それでは無責任すぎるとBRT化を提案している。四日市市は鉄道で残せの一点張りで、しかも支援する金はないという。そんな膠着状態のまま、電車の耐用期限が迫っている。近鉄は赤字路線に新車を作るつもりはないだろうし、軽便鉄道規格の電車は中古品がない。いずれ電車の運行が停まり、運休のままなし崩しに廃止となりそうだ。どうしても残念な結果しか予想できない。
コンビナートから電車がやってきた
乗ってきた通学電車を見送って、帰りは通勤電車だ。乗客は少なく、なんとか座席が埋まる程度。進行方向を眺めれば、晴天の空の向こうに四日市工業地帯の煙突が見える。煙は白い。煤煙ではなく、蒸気の白さである。その青空と白い煙を見て、私は四日市市が鉄道の存続にこだわる理由に思い至った。
この電車も高校生がたくさん乗っていた
私が小学生の頃、四日市は公害の街と教科書に書いてあった。四日市ぜんそくだの公害病だの、この街にとって不名誉な記述であった。私も喘息持ちであったから、子供の頃は四日市という場所には近づけないと思ったものだった。それから約40年。公害対策が進み、大気は浄化された。喘息持ちの私が四日市に泊まり、のんびりと電車に乗って旅をする。良い時代になったものである。八王子線で通学する高校生にとって、公害病は遠い昔の話かもしれない。
四日市市は公害対策を優先した結果、他の施策に後れを取ったとも言われている。ローカル鉄道に対する支援に消極的な理由も、公害問題のツケかもしれない。その一方で、近鉄のBRT提案を頑なに拒み、電車の継続を願う気持ちも、電車が排気ガスのない交通機関だからこそだろう。鉄道好きという気持ちを割り引き、喘息持ちの立場を割り増すと、この路線はやっぱり電車で残してほしい。
帰りの電車。通勤客は座席が埋まる程度
-…つづく
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