第33回:花について
更新日2004/08/26
先日のオリンピック女子マラソンで、沿道の観客のひとりがレース中の選手たちに一輪の花を渡そうとするシーンがあった。もちろん選手たちは、余分なものを手に持ったり身に着けたりして走るわけにはいかない。みな申し出を断っていたが、特に警備員が制止するわけでもない、ラテンの国ギリシアらしい大らかな光景だった。
あれは何の花だったのだろう。とても美しい花だった。筋肉と気力の限界を超えて走り続ける女子ランナーたちの美しい姿に、花を添えてみたいという気持ちは、どことなく理解できる気はする。
私の店にも、毎週月曜日と木曜日に、花屋さんが花を届けてくださる。はじめはアレンジされたものが多かったが、昨年のラグビーW杯あたりの時期から、毎回薔薇の花になった。これは、こちらからそう依頼したわけではなく、花屋さんがなかば勝手に始めたことだ。
最初はW杯の時期でもあったため、スコットランドファンの私にとっては、イングランドの国花である薔薇で店が飾られるのは本意ではないと思い、「花屋さん、アザミ(スコットランドの国花)を毎回持ってきていただくわけにはいきませんか?」と尋ねたりしていた。
けれども、入手できるアザミの種類には限りがあることを知り、また毎回実にいろいろな種類と色彩の薔薇を持ってきてくださることに感服し、今では花屋さんにお任せしている。
お客さんにも、この店の花と言えば薔薇なんだという思いが定着してきた。文字通り「酒とバラの日々」を提供できる店になったのかと、ひとりほくそ笑んでいる。最も原題は、"The
Days Of Wine And Roses"。Wineというのは、ここでは酒全般をさすのだろうが、どうもウイスキー屋にはそぐわないかもしれない。
花と言えば、5年前の11月に店を開店したとき、お祝いに大小合わせて40基を超える花をいただいた。何よりうれしかったし、能天気で店を始めた自分にとって、少しは真剣に臨まねばという思いにかられた。狭い店内には置ききれないので、店先にも幾重にもして並べた。店が終わるときに店内に取り込むのだが、カウンターと床一面が花で覆われて、さながら植物園のようだった。
後で聞いた話だが、近くでお店を経営されているスナックのママさんの中には、今まで見たこともない多さの開店祝いの花に、「これは銀座あたりで働いていたママが作った店に違いない」と思い込まれた方もいらっしゃったらしい。毎日開店の時刻頃に私の顔を見てもボーイだと思われていたらしく、いつママが出勤して来るのかと考えられていたようだ。
当時、店先に並べた花を注意深く見ていると、毎日少しずつ花がなくなっている。それも、きれいな花が抜かれているようだった。「ひどいことをする。一体誰がこんなことをするのだろう」と憤慨したが、これがとんでもない勘違いだったことがその後わかった。
これも少し経ってから聞いた話だが、開店祝いの花を、近くの店の人が抜いていくのは、「この店が繁盛しますように」という願いを込めた行為で、昔からの、水商売の人々の習わしとのこと。この「花泥棒」の恩恵に浴さない店は、流行らないということらしい。つくづく、その現場を目撃して咎めるようなことをしなくてよかったと思った。大きな恥をかくところだった。
ところが、最近はそんな習わしを知らない人の方が多いのではないかと思う。そんなことを知らない人が、開店祝いの花を、近くの人がよかれと思って抜いているところを見つけて、トラブルになるケースもきっとあるだろう。ある人々にとっては常識であっても、そうでない人々にはとんでもない非常識としてしか映らないことはままあって、今後はそういうことが増えてきそうだ。
花に関してはもうひとつ、少しせつない想い出がある。30年前のこの季節、上京間近の私は、片思いながらとても好きだった少女に花を贈ろうと考えた。そしてアルバイトで貯めたお金で、彼女のイメージの白百合を30本購入してきれいな花束にしてもらい、彼女の家を訪ねた。
彼女はなかなか出てこなかった。窓を開けている感じから家に人の気配がするので、何度か呼び鈴を鳴らしたが応答はなかった。私は近くの公園で時間を潰しては、数回同じことを繰り返してみた。
何回目かに、彼女はようやく玄関先に顔を出した。最初の呼び鈴から2時間近くが経過していた。聞けば、体調を崩し床に伏せていたらしい。大きな瞳に疲労の色をのぞかせていた。私はそんな状態なのに何回も呼んでしまった非礼を詫び、どうかこの花を受け取って欲しいと、30本の白百合を差し向けた。
彼女はひとこと、「いただくことはできない、ごめんなさい」と小さな声でいった。私はもう2時間近く水をあげていないから花を元気にするためになどと理由をつけて、受け取ってもらおうと試みたが、彼女は小さくかぶりを振るばかりだった。
失意の中で私は家に持ち帰ったが、家には30本もの白百合の花を生けることのできる大きな花瓶はなかった。しかたなく青いポリバケツに放り込んだが、このたくさんの花たちは、どうにも私の家には似つかわなかった。しかも、そばに寄ると花粉で服が汚れてしまうと母と妹に疎んじられ、最後は浴室に追いやられた。
そして開花の時期は驚くほど短く、暑さと湿気の中で次々と黒ずみ、萎れていった。それ以来、入院のお見舞い以外で女性に花束を贈ったことはない。
第34回:1974年9月 東京