第25回:酒場サルーンと女性たち その25
■ローラ・エヴァンス その1
私たち恒例の冬籠りでスキー場近くの谷間の町、サライダに来ている。この町からスキー場まで曲がりくねった道を20、30分登り、ロッキー山脈の分水嶺近くのモナークという地元の住民を対象にしている小さなスキー場に毎日通う生活を続けている。
その毎日通っている道筋半ば過ぎに大きな廃坑がある。マドンナ鉱山跡で、岩山を荒っぽく削り道路を回し、鉱山独特の異常に縦長の構築物が凍りついたまま残っている。一時は金、銀、鉛を採掘して大儲けをした鉱山で、谷間の町まで鉱石を運ぶ鉄道が敷設され、町外れにはその鉱石を砕き、金や銀を抽出する工場がそのまま残っている。
そしてもう一つの鉱山、サライダ銅山も近くにあり、銅、亜鉛、そしてグラネット、ライム石(花崗岩、御影石)を大量に産出した。この石を切り出し、列車で積み出せる大きさのブロックサイズに切り、商品化したとてつもなく大きな工場跡がアーカンソー川向こうに残っている。
サライダの町は、元々、アーカンソー川沿に入植し、開墾した牧畜と周囲の山から切り出す林業だけだったのが、近くに金銀が発見されてから様相が一変した。ブームタウンになったのだ。そして、当然のように成金あるいは鉱夫目当ての娼館が立ち並び、娼婦らが集まるようになった。
娼館のマダム、経営者らのことを幾人か書き連ねてきて、西部史に名を残すようなマダムたちは一様に、肝っ玉がデンと座っていて、かつ人間の情念を知り尽くしていることに気がついた。もちろん、マダムの下で春をヒサグ乙女たちへの深い思いやりもある。
西部史に名を連ねるマダムたちは、それなりに資産を築き、達観した晩年を迎えているが、戦力となった少女、女性のほとんどは性病を得たり、客がつかなくなり、貧困のうちに消えていった。中には篤実な農夫、鉱夫に引き取られるように結婚することもないではないが、それは例外中の例外だった。
ここに登場するローラ・エヴァンスは、ブームに湧いていたサライダの町で成功した娼館を持っていたが、もちろん最初は自身が身を売る娼婦だった。ローラがアメリカ開拓史、中西部史に名を残すことになったのは、サライダの町を舐め尽くした1886年の大火にいち早く対応し、娼婦たちを守り、と同時に顧客であったエライさんたちを動かし、町の再建を図ったことと、1918年のスペイン風邪の大パンデミックの時、自分の元で働いていた娼婦たちを動員して、患者の看護に当たらせたことだろう。おまけに、各娼婦たちが客を取り、そこが彼女らの生活の場であったクリブと呼ばれる小屋、小部屋を瀕死の患者たちに開放し、病室として提供している。また、病を得て働くことができない人、家庭に食料配達までしているのだ。

ローラが娼館を構えていたウエスト・フロント・ストリートが見つからなかった。
アーカンソー川の西側に走る当時一番賑やか、華やかな通りだったから、
容易にたどり着けると思っていたが、地図からその名前が抹消されていた。
冬場、スキーのために借りているサライダのアパートの大家さんに尋ねたところ、
華やかな娼婦街が有名になるのを懸念した町の”紳士”エライさんたちが
通りの名前を1958年にサケット(Sackett Ave)と変更していたことを教えてくれた。
右側の古い2階レンガ建ての方が本館で、そこで客は娘らを選んだ。

Sackett Ave.
ちなみに、ジョージ・サケットは大不動産業者の大金持ちで、鉱山ブームが去ったサライダの町の
発展に貢献した人物。でも、歴史的な通りの名を不動産業者の名に変えるのは、どうも彼が所有
していたこの通りの地所の価格を守り、かつ値上がりを図ったのではないかと疑いたくなる。
ローラは根が直情型で、思いついたことを即行動に移すバネがあったのだろう。彼女が私財、貯蓄にこだわったことはなく、町の危機には文字通り私財をなげ打ちコミュティーに奉仕した。
多くの娼婦が14、15歳の時から、その道に染まっているのに対し、ローラは17歳で結婚し、子供まで儲けている。ローラが生まれたのは1871年5月31日、モビル、アラバマとはっきりしている、と思っていたところ、地元サライダで発行されていた『サライダ・デイリー・メイル』紙では生誕は1874年、ミズーリー州のセントルイス生まれとあり、西部史によくあることだが、出生がはっきりしていない。
全く推測の域を出ないのだが、セントルイスで17歳の時に結婚した相手、ジョン・クーパー・エヴァンスがセントルイス在住だったので、そこで生まれ育ったと演繹されたのかもしれない。
結婚したのも衝動的だったのか、赤ちゃんを儲けてすぐに、夫と赤子を捨て去るように家を飛び出している。ということは、結婚生活は2年ともたなかったことになる。何が彼女をそうさせたの分からないが、家族を捨て家を飛び出したはいいが、当時の女性が食べて行く道は少なかった。彼女は一番手っ取り早くお金になる売春を選んだのだった。
これまで取り上げきた、マダムたちはご幼少の頃、極若年から、13、14歳から娼婦業にいそしんできたが、ローラは違った。一度結婚し子供を産み、おそらく19歳前後、分別がついてから、娼婦業に入っているのだ。
ローラが地元のセントルイスでの娼婦業から金鉱ブームの末期のデンバーに移ったのは当然の成り行きだと言える。当時すでに大都会になりつつあったセントルイスはなんと言っても夫も娘も親類もいる地元なのだ。
ローラはデンバーの赤線、マーケット通りの娼館、ジェニー・ロジャースの元に直行している。そこでは女であればどんな容姿だろうが需要があった。西部辺境では女性の絶対数が不足してた。ローラは生き生きとした表情の魅力的な娘だ。すぐに人気者になったに違いない。
当時に娼婦の館は娘たちを拘束することが少なかった。娼婦たちは至って流動的で、前貸しの借金に縛られていた日本の遊郭とは次元が全く違った。どこの娼館でも若く陽気な娘を欲しがっていたにしろ、娼婦たちはもっと客筋の良いであろう土地、別の娼館に移るのは全く自由だった。
もちろん、アル中になり、自堕落な生活に堕ちた病気持ちの娘は路上に放り出されたが…。
-…つづく
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