第22回:酒場サルーンと女性たち その22
■デッドウッドの娼婦、ドーラ・ドフラン
コロラドの金鉱山の町クリップル クリークを取り上げた以上、もう一つ西部開拓史上に名を残す金鉱山の町、デッドウッドを取り上げないわけにはいかない。
デッドウッドは、現在の南ダコダ州にある。金鉱ブームに沸いた時はララミー砦の協約によりスー・ラコターインディアンの居留地区だった。それを金鉱発見とともに白人どもは協約を破り、ラコタインディアンから取り上げてきた醜い史実がある。
デッドウッド、死んだ木、枯れ木、という町の名前からして西部開拓時代を彷彿とさせるではないか。
町の名での一方の雄はOK牧場の決闘があった“ツムストーン(墓石)”だろうか。デッドウッドはスー・ラコタインディアンの聖地ブラックヒルズにあり、合衆国政府はそこに金鉱が発見されるや、恥も外見もなく次々と条約を破り、格段に小さくしたインディアン居住地を設けた新しい条約を結び、またそれも無視、破り、さらに縮小したインディアン居留地区を設け、そこにインディアンを押し込めていった。
条約改正といえば聞こえはいいが、全く一方的に条約を押し付け、結ばせた。条約は都合4回結ばれ(小さなものを含めると8回になる)、その都度、インディアンは土地を失い、荒れた狭い地域に追いやられた。
そのインディアン居留地に金鉱が、しかも大きな金鉱が発見されたのが1868年のことで、黄金に取り憑かれた白人どもが、狂ったように押し寄せた。ゴールドラッシュだ。だがその時、デッドウッドが位置するブラックヒルズ全体がインディアン居留地で、そこに白人が常駐することは禁止されていた。
だが、そんなこと誰が構うもんか、金を掘る方がはるかに重大だとばかり、黄金に取り憑かれた人々が押し寄せ、初めはテント村だったのが、いくばくもなくメイストリートには木造、にわか普請の金物屋、雑貨屋、そしてサルーン・バーが軒を並べるようになった。
金鉱が発見された時、このブラックヒルズには金鉱探しの山師の白人しかいなかった。が、金発見の報が広がると、アッと言う間に5千人が集まり、1877年には1万2千人の町ができ上がったのだ。最盛期には2万5千人の中規模の鉱山町になった。彼らは不法滞在者で、合衆国の法律で、デッドウッドは郡としても市としても認めらていなかった。よって、デッドウッドは行政も保安もない、無法の町になったのだ。
ワイルド・ビル・ヒコックが、サルーン・バー10番で背後から撃たれ死んだのは1876年のことだが、彼を撃ったジャック・マッコールを裁くにも行政機関がなく、かと言って合衆国の最高裁へも持っても行けず、ジャックをダコタ領域裁判所に持って行き裁いている。デッドウッドは、町の存在自体が違法だったからだ。
このようなブームタウンには必ずサルーン・バーが生まれ、娼婦の館が建てられる。西部の辺境では、とりわけ鉱山町で女日照りが激しい。女たちもスワッとばかりブームタウンに詰めかけ、荒稼ぎに励んだ。
記録に残っているデッドウッド最初の娼婦は、マダム・ムスタッシュとダーティー・エムだと伝えらている。だが、デッドウッドにこの人ありと知られたのはマダム・ドーラ・ドフランだ。

ドーラ・ドフラン(1868-1934;66歳没)
この写真が撮られた年は分からないが、おそらく晩年になってからのものだろう
さまざまな文献、ドキメントにあるように輝くばかりの少女の面影をこの写真から読み取るのは難しい
とは言っても、「わたしゃ、精一杯生きた」という肝っ玉オッカアの泰然とした様相はある
マダム・ドーラ・ドフランの出生ははっきりしている。フランス風の呼び名はもちろん源氏名で、本名はドーラ・ボルショーと言い、1868年の11月16日に、英国リヴァプールで生まれた。両親に抱かれアメリカはニュージャージー州のブルームフィールドに入植した。
当時、ヨーロッパからの移民は飢饉に襲われ、食うや食わずの貧民か、ある程度の資金を持つ野心家が圧倒的に多かった。ドーラの両親は貧民集団に属していた。どのようなツテがあってか、ドーラ一家はネブラスカ州のリンカーンへ移り住んでいる。
ドーラは誰もが目を馳せるほど可愛らしい少女だった。加えて、ドーラ自身何が男どもを惹きつけるかを分かっていた。自分の魅力を心得ていたのだ。いわば、天性の娼婦だったと言える。ドーラが売春の味をしめるようになったのは13歳の時からだと言われている。いくら当時の女性が早熟だと言っても、同年代の少年とのお遊びセックスでなく、それが金になることを知り、オシゴトとして13歳の少女が性交に励んだのはショックだ。
そして、ドーラがチャーリー・アッターが指揮する幌馬車隊に加わり、デッドウッドに着いたのは、彼女が15歳の時だ。デッドウッドに行くにも、仕事仲間、同業者を誘い集めている。その一隊にカラミティー・ジェーン(女性ガンマン)もいたと言われている。
デッドウッドに着いた当初、ドーラは自分で娼館を持つほどの資金もなく、ただの人気娼婦として娼館を渡り歩いていた。でも、目端の効くドーラが自分の店、娼館を持ち、発展させるのは早かった。人々はドーラの店を“デドリン・ドーラ(やっつける、やってのけるドーラ)”と呼び、ドーラの元で働く娼婦などに群がった。
どこでどのように学んだのか、天性の企業感覚が鋭かったのか、ドーラは娼婦の館のフランチャイズのようにモンタナ州のリード、マイルシティー、スタージスまで支店?を設けているのだ。終いには、デッドウッドのホテル“グリーン・フロント”まで手に入れている。
娼婦業もやり方次第で、金鉱を掘り当てるのと同じように成功できる職業であることをドーラは証明した形になった。資本金ゼロで元手は自分の身体一つ、それを機能的に使い、また他の女性たちを上手にコントロールし、手元に置くかがキーになるのだろうか。
また、東部の都会から貧しい女性をどんどん仕入れるノウハウ、ルートを確保しなければならないにしろ、東部、中部の街で女中、洗濯女、レストランの下働きに比べると、娼婦業はとんでもない金額を稼げる仕事だから、女性をリクルートし、娼婦に仕立て上げるのは容易だった。
とは言え、このコラムに登場する女性たちは例外中の例外で、大半の娼婦は2、3年で健康を害し、主に深酒、性病、妊娠中絶の失敗から廃人になり、早死にしている。
ドーラは1934年まで生きた。死因は心臓疾患だと言われている。墓標は、デッドウッドのマウント・モライアー墓地にある。その墓標で気が付いたのだが、ドーラは結婚していたのだ。相手はジョセフというギャンブラーの田舎紳士だった。西部史に名を残すアウトロー、ギャンブラーではなかったが、ドーラの商売を内側から支えた優男だったようだ。
デッドウッドは、アメリカ大陸を東西に横切る幹線ハイウェイのI‐90沿いにあり、しかもあのリンカーン、ワシントンなど4人のアメリカ史上に名を残した人物の巨大な顔を岩山に彫んだマウント・ラシュモアに近いこともあって、観光客が引きも切らない名所になっている。
ワイルド・ビル・ヒコックが殺されたサルーン・バー10番は超満員の盛況だ。だが、これも何度か消失しており、現在の当時を忍ばせるいかにも西部劇のセットに使われそうな凝った作りのサルーンも4度は焼けているはずで、戦後、商売っ気のある西部好きが建て替えたものではあるが…。
-…つづく
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