第878回:海の嵐のこと、ヨットのこと
ニューズで海のこと、とりわけ自分がよく知っている海域のこと、そして長年過ごしたヨットのことが流れると俄然、興味をそそられます。テレビや雑誌に自分が訪れたことがあるところの写真や記事に思わず目が行くのと同じ神経でしょうね。
今年の、ヨットの大惨事は地中海のシチリア島沿岸で起きた183フィート(56メートル)の超豪華ヨットが沈んだことでしょう。
このヨットはカッターリグという高い一本マストの船で前の方に大きなセール、その内側、マスト寄りにもう一枚のセール、そしてマストとブームで張るメインセールの3枚の帆で走る機能的なデザインのセールプランを持っていました。
建造されたのは数多くの大型ヨット、豪華船を手がけているイタリアの“ペリニナヴィ”という造船所で、設計は世界のトップを行く、近年は大型の豪華ヨット、パワーボート専門になってしまいましが、一時期ヨットレース界で一世を風靡したロン・ホーランドというニュージーランド人です。
建造されたのは2008年で、セールボートでありながら、ありとあらゆる電子器具を備えている俗に“State of Art”と呼ばれている最先端の電子装備を持った、いわば不沈艦でした。ですが、海に浮いているモノで不沈などあり得ないことはタイタニックを例に挙げるまでもありません。
キャプテンはニュージーランド人の51歳になるジェイムス・キャトフィールドで、この手の大型豪華ヨットの大ベテランで、地中海だけでも30年以上の経験を持ってました。ヨットのメインテナンスも万全で、ヨットの検査も定期的に行い、すべての機器が間違いなく作動していました。このヨット、ベイジアン(Bayesian)号の艦長になってからでも8年経っています。誰しもがトップセーラーだと認めている人物です。
オーナーはハイテックの巨匠、イギリス人億万長者のマイク・リンチですが、一応登録上では奥さんのアンジェラ・バカレスになっています。
招待客、ゲストを12人乗せ、それに10人の乗組員と地中海豪華クルーズを絵に描いたような船旅休暇を堪能していたのです。
地中海は、とりわけ夏の期間、5月から9月まで、海が時化ることが少なく、全くと言ってよいほど雨が降りません。しかし、局地的な突如風が発生します。それぞれ、東からの風はレヴァンテ、南からのをシロッコ、アルプスからの吹き下ろしをトラモンターニャと名付けていますが、地方によって局地的な突風を極めてローカルな名称で呼んでいます。
そしてそれらの突風は、ハリケーンのように1週間も前から進行方向を予測できる性格のものではなく、ほとんど予測できないくらい、急激に発生し、進行方向もメチャクチャでどちらに向かっているのか、停滞するのか神のみが知る大荒れになります。
地中海はバカンスイメージをかなぐり捨て、突如牙を剥いてくることがある、とても侮れない危険な海なのです。
私たちも、地中海で二度大きな嵐に遭遇しました。一度はスペインの東海岸で、もう一度はイタリアのサルジニア島の北岸でした。いくら地中海に全く予測できない大時化が発生するといっても、イタリア、フランスの海上気象予報はとても優れていますから、アフリカからの熱風、シロッコが急激に発展しやすい大気の状態であるとか、警戒警報は発令されます。
そんな予報を掴んでいたのでしょう、この豪華ヨット、ベイジアン号のキャプテンはシチリア島のパレルモ近くの湾に錨を降ろし、突風、竜巻をやり過ごそうとしました。浮遊物、小舟がぶつかり合う小さな港やマリーナに係留するよりアンカーを降ろし、ヨット、船の舳先を風に向けている方がはるかに安全なのです。私たちも何度錨を降ろし、嵐が通り過ぎるのを待ったことでしょう。
ですが、この舳先を風、多くの場合は波とうねりに向けていることになりますが、これが案外難しいのです。突風を受け、怒涛のような波に舳先を叩かれますから、舳先は左右に大きく振れ、ともすれば大きな波に船の横腹を見せることになり、巨大な岩がぶつかって来たような衝撃と共に大量の海水が甲板を洗うことになります。アンカーを入れ、嵐をやり過ごす鍵は、いかに船の舳先を風と波に向けるかにかかっているのです。
船を風に立てるため、とても小さいセールをバックスレテイにスパンカーとして張ったり、ケッチ(2本マストのヨット)なら、後ろのセール(ミズンと言います)を十分縮帆して張ったりします。それでも船が左右に大きく振れるなら、エンジンを使い、さらにはバウスラスターという船の舳先水面下にあるプロペラを作動させ、ともかく船を風に立てることに専念します。
私たちも幾夜、徹夜でアンカーウォッチ(錨が効かず、船が流されるのを防ぐ見張り)をして過ごしたことでしょう。
まだベイジアン号の海難審判の結果は出ていませんが、キャプテンのジェイムスは乗組員全員をデッキに手配していますから、当然、アンカーウォッチを何人かに命じていたことでしょう。走錨は何としても避けたい非常事態ですから。
それにベイジアン号はキャタピラー・エンジンを2基積んでおり、エンジンだけで15−16ノットのスピードを出すことができましたから、風の息を読んで、船を立て直す、風に向けて立てることが可能であったのではないかと……思われます。
ですが、その時の気象情報を見て私も驚いたのですが、風力(ビューフォト)が12を何度も示しているのです。私たちはそんな暴風を体験したことありません。それどころか、風力10の経験もありません。まさに想像外の風速だったのです。
巨大なタンカーから10メートルほどのヨット、ボートまで、船体を横切るように仕切が設けられていて、船の一部、前の方が何か浮遊物に当たり、穴が空き、海水が入ってきても前部の仕切壁を締めている限り、沈まないように作られています。“ベイジアン”もそのような浮沈構造になっていました。
ですが、横波を食って90度船が横倒しになってから、およそ16分で沈んでしまいました。これは不可解なことで、デッキから下のキャビンに降りるハッチが開けっぱなしになっていたのではないか、これは明らかに乗組員のミスだとみられていました。
しかしながら、50メートル海底に横たわるベイジア号を調べたところ、ハッチ、ポート(窓)はすべて閉まっていたと報告されていますから、16分という短時間に沈んだ理由ははっきり分かっていません。
豪華船はすべてのキャビン、大広間のようなサローン、すべてにエアーコンディションが完備されています。エアーコンディションには換気扇が必要で、それをカウルと呼ぶデッキに突き出た外気の取口から新鮮な空気をキャビン全体に取り入れます。とりわけエンジンルーム(機関室)は大量の空気を取り入れる必要があります。全くの推測ですが、そのカウル(外気取り入れ口)から浸水したのではないかと言われていますが、カウルから入る海水だけで、大きなヨットを16分で沈ませるだけの量は入らないと思うのです…。
第879回:他人の目、外国人の目
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