第599回:戦争と平和
ここでトルストイの名作の向こうを張るつもりはありませんのでご安心ください。『戦争と平和』は、ロシアがナポレオンに侵略された時の一大叙事詩ですが、ロシア、ソヴィエトは呆れるくらい何度も侵入されていることに驚きます。最近では、ナチス・ドイツ、その前にはフン族、タタールの軛(くびき)、まあ、よく国がもったものだと思います。
逆にアメリカは、本土が外国に侵略された…直接攻撃されたのは真珠湾だけです。ワールドトレードセンターの事件は、一つの国がアメリカを攻撃したのではなく、もっともそのようにとる人もいますが、アンチ・アメリカへの大きなテロでしょう。アメリカは外国に占領された経験がありません。
それにしては、アメリカの歴史はアッチコッチで戦争ばかりしている、まるで戦争の歴史です。独立戦争に始まり、第二次米英戦争、メキシコ戦争(アラモの戦い;テキサスをアメリカ領にした)、南北戦争、米西戦争(アメリカvsスペイン)、第一次世界戦、第二次世界大戦、そして戦後にも朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争、第一次、第二次のイラク湾岸戦争とアメリカが世界のどこかへ軍隊を送り、ドンパチやっていない期間を探すのが難しいほど、常に世界のどこかで戦争をしているのは呆れるくらいです。公式的にはアメリカの軍隊を送り込んではいないけれど、CIAが画策し、その国々の人を操った陰の軍事行動は数え切れないほどたくさんあります。
戦争は人を殺すのだから、悪であり、どんな理由があろうが絶対にやってはいけない…というのは正論ですが、いかなる戦争も反対という能天気な平和主義の大看板を上げる、平和運動は現実を踏まえたものではありません。
歴史に“もし”はあり得ませんが、あえてもしアメリカが第二次世界大戦に参加しなかったら、ヨーロッパはナチス・ドイツの支配化に下っていたことでしょうし、日本での軍国主義政権が続いていた可能性が高いでしょう。自分の国が直接侵略されたわけでもないのに、アメリカさん、よくヨーロッパにあれだけの兵隊さん(総動員数160万人、日本への派兵を含む; Historical Statistics of the U.S.による)を送り込んだものだと思います。
日本でも、知識人を中心に、日本の敗戦を歓迎と言っては言い過ぎかもしれませんが、ヤレヤレやっと軍部の暴走が終わってくれたと喜んだ人々がたくさんいたことでしょう。映画監督の黒澤明が大島渚のインタビューに応えて、「敗戦の時、アアこれでやっと検閲なしに映画をつくれる、と映画人は、皆喜んだ」と語っています。
彼が特別政治意識の高い映画を作っていたわけではありませんが、こんなところが日本人全般の意見ではないかと思います。はっきり言えば、“負けてよかった”というところでしょうか…。
「戦争をなくすための戦争」 とか、「平和を築くための戦争」 「民主主義を守るための戦争」 「テロに対する正当な戦争」という政治的プロパガンダを含んだキャチフレーズは耳に響きもよく、もっともらしく聞こえるのが恐ろしいところです。
第二次世界大戦で、アメリカがヨーロッパと日本の両面に無理をして参戦したのは「正しい戦争」だったと思い込んでいるアメリカ人の歴史家、ジャーナリスト、哲学者はたくさんいます。確かに「正しい戦争」であったという一面を否定はできないでしょうね。
でも、それ以後、アメリカは正しい良い戦争を仕掛ける、アメリカン・デモクラシーを教え、植え付けるためなら何をやっても許されるとばかり、国際的な機構の賛成なしに、独自にどんどん海外に兵隊さんを送り込むようになってしまいます。
第二次大戦への参加が正しかったことで、軍事介入をすっかり増長してしまったのです。第二次世界大戦への参戦はアメリカにとって、戦闘員の死者2.5%、アメリカ市民、非戦闘員の死者はゼロと言ってよく、ヨーロッパの国々、中国、日本が払った膨大な犠牲、死人の山と比べることさえはばかられます。おまけに戦時景気で、それまでの大恐慌が吹っ飛んでしまうほど、アメリカは潤っているのです。
大戦後、アメリカに対抗するブレーキ役の国々に国力、戦力がないので、ますますヤリタイ放題になってしまったのでしょう。
今、カトリック教徒で、十字軍遠征がキリスト教徒として正しい行いだったと思っている人はいないでしょう。同じように、ベトナム戦争が「良い戦争だった」と信じているアメリカ人は非常に少ないと思います。あれは「愚かな戦争だった」、「もう二度とベトナム戦争を繰り返すな!」というのが一般のアメリカ人の得た教訓と言ってよいでしょう。
ところが、その後、アメリカは懲りもせず、アフガニスタン、二度のイラク戦争、シリアへの派兵を繰り返しているのです。
アメリカが海外で行う非人道的な殺戮(人道的な殺し合いというがあるのかしら?)に対し、人道的な立場からの平和運動はジャーナリズムに取り上げられますが、それによって政治、軍事行動が変わることはありません。アメリカ人にとって、海外で非戦闘員、市民が千人殺されることは対岸の火事ですが、アメリカの兵隊さん一人が殺されることの方がよほど重大なことなのです。
ベトナム反戦運動が盛り上がり、アメリカ国内で政治的影響力を持ったのは、それがアメリカ国内の問題になってきたからです。東洋の小さな国の人のことなど誰が構うものですか…。
いくらアメリカが白い馬に跨り、錦の旗をかざして、「正義の味方」として海外に押しかけて行っても、アイバンホー(Ivanhoe)やローン・レンジャー(The Lone Ranger)じゃあるまいし、地元の人が喜んで迎えるはずがありません。第一、武器を抱えた外国人がその国に長いこと居座って、歓迎され続けた例は人類の歴史にありません。
どうにも、今回のテーマは大きすぎて、とてもノラリの紙面に軽く書くべきものではありませんでした。ごめんなさい。
アメリカの武力を伴った独善的な「アメリカ的民主主義輸出」がとても危険なことだと言いたかったのですが、少しは伝わったかしら…。
-…つづく
第600回:ローマ字とカタカナ語
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