第480回:流行り歌に寄せて No.275 「芽ばえ」~昭和47年(1972年)6月5日リリース
この人の、芸名に関するエピソードが面白い。歌手デビューが決まった時、最初、所属レコード会社のビクターが「丘めぐみ」という名前を用意したらしい。ところが、本人は『何か一つ足りない』と思って国語辞典を引っ張ってきた。
「あ」の項目を見ていて、上に「あさ」を付けたらどうだろうかと考える。「朝」「浅」「麻」といくつか漢字が出ていたが、朝だと朝丘雪路、淺だと浅丘ルリ子という大先輩がいる。そこで「麻丘めぐみ」にしたのだというのだ。
芸歴は古い。彼女のお姉さん(芸名:藤井明美・他)が幼少の頃から活発だったということで、その姉に付き添う形で劇団に入り、1歳8ヵ月の時にCMに出演、3歳で子役としてデビューした。初舞台は梅田コマ劇場で、花菱アチャコ、森光子という大役者との共演だったそうだ。
中学時代には『週刊セブンティーン』などでモデルとして活躍する。その後も、歌手になった姉の雑用係などをして姉の仕事場に出入りしていたが、そのうちに歌手にならないかとの誘いを何度となく受ける。
けれども、なかなか売れない姉の苦労を見てきているので、自分には歌手にはなれないと消極的な思いでいた。ところが、このままでは姉がレコード会社から契約を切られるのではないかという危惧があり、それを止めるためには自分が会社の言うことを聞かなければとの思いから、歌手デビューの要請に応えることになったようだ。
そして、昭和47年(1972年)ビクターから『芽ばえ』でアイドル歌手デビューをする。お姉さんも演歌を歌っていたように「演歌のビクター」として定着していた会社から出た、最初のポップス系歌手であった。
この曲は、40万枚を超える大ヒットをし、この年の第14回日本レコード大賞で最優秀新人賞を獲得する。この年は、青い三角定規『太陽がくれた季節』、郷ひろみ『男の子女の子』、三善英史『雨』、森昌子『せんせい』と実力のあるライバルが新人賞を受賞していたが、彼らを抑えての最優秀新人賞だった。
「芽ばえ」 千家和也:作詞 筒美京平:作 高田弘・編曲 麻丘めぐみ:歌
もしもあの日あなたに 逢わなければ
この私はどんな 女の子になっていたでしょう
足に豆をこさえて 街から街
行くあてもないのに
泪で歩いて いたでしょう
悪い遊び憶えて いけない子と・・・
人に呼ばれて 泣いたでしょう
今も想い出すたび 胸が痛む・・・
もうあなたのそばを 離れないわ
離れないわ 離れないわ
もしもあの日あなたに 逢わなければ
この私はどんな 女の子になっていたでしょう
白い薔薇の匂いも 鳥の声も
まだ気付く事なく
ひっそり暮らして いたでしょう
誰か人に心を 盗みとられ・・・
神の裁きを 受けたでしょう
今も想い出すたび 恐くなるわ・・・
もうあなたのそばを 離れないわ
離れないわ 離れないわ
作詞の千家和也、作曲の筒美京平コンビは、その後の麻丘めぐみのヒット曲、『悲しみよこんにちは』『女の子なんだもん』『わたしの彼は左きき』…とずっと続いていくが、私の調べた限りでは、このコンビは、彼女に提供している曲以外、あまり組まれることはなかった。
編曲の高田弘は、愛知県生まれの作・編曲家。詳しい経歴はわからないが、私がたいへん好きな曲を多く手掛けていて、その人となりを、もっと知りたいと思う。浅田美代子『わたしの宵待草』『虹の架け橋』、江利チエミ『酒場にて』、高田みづえ『女ともだち』、ちあきなおみ『喝采』など、私のお気に入り曲だけでも多くあり、その他、桜田淳子、野口五郎などの代表曲などを、数多く編曲している。歌謡曲の編曲の他にも、テレビドラマ、アニメ音楽、映画音楽などのジャンルで、たいへん活躍している人である。
ところで、私自身は麻丘めぐみと同学年であるが、ヒットを飛ばしている最中は、それほど彼女には関心がなかった。あの「姫カット」と呼ばれた髪型も、コミック『愛と誠』の早乙女愛の真似事だろうと思ったりしていた。
ただ、『白い部屋』(千家和也:作詞 筒美京平:作・編曲)を聴いた時は、その独特の色気に翻弄するような思いがした。
その後、彼女が40歳を過ぎたあたりから、ようやく彼女の魅力に気づき、その頃から、ずいぶん遅咲きのファンとなった。そして、今では店の有線から彼女の曲が流れてくると、じっと耳を傾けたりしているのだ。とても、良いのである。こんなこともあるのだなあ、と不思議な気持ちでいる。
今回、このコラムを書くにあたり、いろいろ調べていて、ひとつだけ意外なことに気づいた。彼女は、デビューの翌年の昭和48年(1973年)の第24回NHK紅白歌合戦に初出場を果たしているが、それが今のところ唯一の出場なのだ。もっと何回も出ているものだと、ずっと勘違いしていた。
-…つづく
第481回:流行り歌に寄せて No.276 「雨」~昭和47年(1972年)5月25日リリース
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