第481回:流行り歌に寄せて No.276 「雨」~昭和47年(1972年)5月25日リリース
今回、三善英史という人が、私より1級だけ先輩だったことを知り、改めて驚いてしまった。もっと年上の人だと思っていた。この『雨』を歌ったのは、彼がまだ17歳の時のことだったのだ。
高く透き通った、哀切という言葉が最も似合うような声質。まだ高校3年生の年齢で、女性の心の動きを淡々と歌う。本人は、どこまで歌詞の内容を理解しているのかはわからない。けれども、多くの大人たちの心を捉え、徐々にレコードが売れていき大ヒットに繋がったのだから、それは本物なのだろう。
見るからに、寂しげな感じのする人である。それは、デビュー当時から現在に至るまで少しも変わっていないようだ。その持っている雰囲気だけで、恋をする哀しみが伝わってくるのである。
前回(リリースの時期が前後してしまい、失礼いたしました)の麻丘めぐみと同じ千家和也の作詞であるが、まったく正反対の立場の女性が対象となった曲になっている。
男性に救われた喜びを、心の底から表現する女性と、自分の置かれた宿命に、じっと耐えている女性。さすがにプロの作詞家は、依頼された世界観を縦横無尽に描き分けることができるのだろうか。
「雨」 千家和也:作詞 浜圭介:作曲 近藤進:編曲 三善英史:歌
雨にぬれながら たたずむ人がいる
傘の花が咲く 土曜の昼下がり
約束した時間だけが 体をすりぬける
道行く人は誰一人も 見向きもしない
恋はいつの日も 捧げるものだから
じっと耐えるのが つとめと信じてる
雨にうたれても まだ待つ人がいる
人の数が減る 土曜の昼下がり
約束した言葉だけを 幾度もかみしめて
追い越す人にこずかれても 身動きしない
恋はいつの日も はかないものだから
じっと耐えるのが つとめと信じてる
約束した心だけが 涙によみがえる
見知らぬ人があわれんでも 答えもしない
恋はいつの日も 悲しいものだから
じっと耐えるのが つとめと信じてる
歌詞の中で、「恋はいつの日も『捧げる』『はかない』『悲しい』ものだから」と歌われ、その後、「じっと耐えるのがつとめと信じてる」と繰り返し、自分に言い聞かせている。
時代と言ってしまえばそれまでだが、今日このような歌詞を書き、歌われることは、まずないだろう。
しかし、このような心根を持った人(性別他は関係なく)は、今でも存在していると思う。それを「古い」とか「ずれている」などと早急に判断するのは、少し的外れな気がする。そのような恋愛観があっても、それはそれで良いのだと思う。あまり時流に乗ることに懸命になって、自分が持っている固有の価値観を否定するのは詮無いことではないだろうか。
三善英史の歌ったこのデビュー曲は、オリコンの週刊ヒットチャートの2位まで上昇し、また、この年の第14回日本レコード大賞・新人賞、第3回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞を受賞し、注目の人となった。
『雨』の大ヒットの翌年、昭和48年(1973年)の第24回NHK紅白歌合戦に『円山・花街・母の街』を歌い、初出場を果たし、その後『愛の千羽鶴』『細雪』で、49年、50年と3年連続出場をはたした。
私は、個人的には昭和49年3月に発売された『彼と・・・』という曲が、最も好きである(阿久悠:作詞 三木たかし:作・編曲)。
彼と同棲していながらも、いつか別れの日が来るだろうかと怯えつつ、彼がバスで帰宅する時間にサンダルを履いて迎えに行く…、そんな女性の生活を歌った曲だった。そのはかなさが、彼の歌声を通して、じっくりと伝わってくるのである。今聴いても、あの時代の匂いのようなものが蘇ってきて、懐しく思う。
-…つづく
第482回:流行り歌に寄せて No.277 「女のみち」~昭和47年(1972年)5月10日リリース
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