第833回:アルバイトと学校の先生
明けましておめでとうございます。
このコラムを読んでくださる方々、皆様、今年も健康で良い年を過ごされますよう、お祈りしております。
私の密かな自慢は、大した自慢にはならないのでしょうけど、16歳から大学院までズーッとアルバイトで自活してきたことです。それに加え、昔からあるファーストフッドの店、マクドナルド、ピサハット、ドミノピサなどなど、すべてで働いたことがあるのが自慢にならない自慢です。学期中は夕方か夜、もちろん夏休みは二つのアルバイトに駆けずり回っていたほどです。早く言えば、特待生で授業料はタダ、そしてたっぷり奨学金をもらえるほど優秀でなかったことになりますが…。
私の父は小学校の校長先生でしたが、アメリカ全般、どこの州でも日本とは比べ物にならないくらい教員の給料はとても安く、とても育ち盛りの4人の子供を育てるには充分でなく、長い夏休み(3ヵ月たっぷりあります)の期間中はいつもアルバイトに精を出していました。
ワールドブック大百科事典の訪問販売、近くの農園、牧場での肉体労働、他の先生たちとチームを組んでの大きな家のリフォーム、音の出る(薄く小さなビニールのレコードのようなものでしたが)名刺、グリーティングカードの販売、養蜂業などなど、毎年のように次から次へと違うアルバイトを見つけてきては夏休みの間セッセと働いていました。同僚の先生たちも給料は安いけど休みがたっぷりある教職の特権を生かして、夏にはアルバイトをするのが当たり前でした。
母は教会のピアノ、オルガンの演奏、ヴァイオリンや器楽、声楽の発表会などの伴奏、結婚式の音楽演奏のアルバイトに忙しかったようです。
私は大学に勤めるようになってから、やっと本業?だけになり、学外でアルバイトをしなくて済むようになったのです。
今、アメリカで小中高の学校の先生たちのアルバイトが問題になっています。と言うより、すでに何人もの先生が退職させられています。最もクビを切られた先生がやっていたアルバイトというのが、バーの女給さんやセクシーなショーのダンサーだったり、中には、コンパニオンガールというのかしら、出張娼婦のような種類のオシゴトなのです。
生徒たちの親がこんなところでアルバイトをしている彼女たちに出会ったのではなく、最近、たくさんの人が使っているスマホ、パソコン、YouTubeやTik-Tokに彼女たちが自分自身の写真や動画を載せ、それが皆の目に触れてしまったのが発端のようなのです。
しかし、何のためにそんな写真を、思いっきりセクシーなポーズで、しかも体を隠す衣装が極小の写真を載せたりしたのでしょうね。中にはそのままプレイボーイ雑誌に登場できそうな女教師もいるのです。きっと、学校の先生なんかやっているより、最初からそっち方面で活躍しようと、多くの人目に触れようと目論んでいたのかもしれません。それとも、皆に見てもらいたがる神経、自己顕示欲が異常に強く、表に出てしまったのかもしれません。いくら、渾名、偽名、芸名?を使っていても、そんなことはいつかはバレてしまうものです。
教職員のアルバイトのモラルをどこに置くか、どの程度までなら許せる範囲なのか、線を引くのは難しい問題なのかもしれません。私の父のようにもっぱら肉体労働に専念できない女教師は、レストランやファーストフード店のウエイトレス、その延長線上でお酒を出すバーのウエイトレスくらいしか仕事はありません。そこまではいいけど、ここから先はダメとは言い切れない部分があります。というのは、その中間のレストラン、バー、カフェみたいなところがたくさんあるからです。
その上、体育や演劇の先生がフィットネスのモデルになり、レオタード姿で登場しても、それは自然な健康志向のことだし、その露出度は問題にすることではなく、本人の意識があくまで視聴者の健康の向上にあるのか、それともセックスを奮い立たせることにあるかの問題になってくるのでしょうね。
でも、中にはストリップショーのような動きをしている女教師もいるし、タップダンスや社交ダンス、バレーは良くて、ベリーダンス、ポールダンスは猥褻だとは言い切れません。元々ダンスにはセクシャルな部分があり、それをいかに直接的にではなく、芸術的に表現するかの問題なのですから…。
娼婦まがいのサービスをするところでアルバイトをしていた先生が案外仕事熱心な先生で、教え上手の上、生徒さんに人気があるかもしれません。これは生徒さんに聞いてみなければ分かりませんね。
彼女たちの写真を見たウチのダンナさんは、「オッ、すげえ~、こんな先生がいたら、俺なら一生懸命勉強して、その先生の職員室に出向いて質問責めにして、その科目だけでも優等になったと思うけどな~」と、トンチンカンなコメントをしています。
職業によってある種のモラルに縛られます。警察官が交通違反、酔っぱらい運転をするとか、聖職者が浮気をするとか、一般の人が日常的に犯す過ちの社会的制裁がその職にある人により厳しくなります。これはマスコミが騒ぎ立てた結果といえます。教員、警察官、聖職者といえども、私ちと同じ極普通の人間なのですから、何か法を破ったら法に従って罰し、その職業によって、社会的モラルを押し付けるのはどこか無理があるように思います。
要は、その個人がいかに自分の職務を立派に務めているかだけが重要なことだと思うのです。
第834回:美しく老いることは可能?
|