第395回:流行り歌に寄せて No.195 「花の首飾り」「廃虚の鳩」~昭和43年(1968年)
私は、名古屋市港区に在住の中学1、2年生だった頃、市電で5、6個先の停留所にある進学塾に通っていた。そこでは、ある同級生の男子生徒と行動を共にしていた。
彼は、同じ小中学校には通っていたものの、同じクラスにはなったことはなかったが、比較的私のアパートの近所に住んでいた。小学校の頃から、学年の1、2位を争う秀才で、小顔で背も高く、ルックスでもまた1、2位を争う、そんな優秀な子だった。そして、大人の前では実に行儀の良い態度を崩さなかった。
けっして仲が良いというわけではないのに、彼は私に近づいてきては、常に居丈高な態度で接した。おまえのここが情けないとか、貧乏くさいとか、頭が悪いとか言いながら、まわりの同級生を巻き込んで嘲笑した。
精神的なイジメなのだろうが、私は当時その地での生活に絶望しきっていたので、何をされても諦めていた。
ところが、ある時私が「トッポの『廃虚の鳩』は本当にええ曲だと思わん?」と話しかけた時、彼は「悪いことを覚えすぎたのは、タイガースのことだがや。あの不良連中のどこがええ? ほんでもって、何い、あのトッポの高い声、気持ち悪っ、たわけか…」と、吐き捨てるように言った。
私は自分のことを腐されるのは慣れっこであったが、自分の大好きなアイドルのことをあまりに酷く言われ、その瞬間、中学生ながらある種の殺意を覚えた。
それ以来、さすがに私は彼と口をききたくなくなり、距離を置くことにした。最初のうちは何かと突っかかってきたが、そのうちに飽きたらしく、次の自分の黒い楽しみの対象者を見つけ始めたようだった。
やがて、私は転校して春日井市に移ったが、風の便りで、彼が高校受験に失敗し、かねてから希望していた進学校に入学できず、不本意ながら滑り止めの私立高に入ったことを知った。試験の際、緊張していつもの学力は発揮できず、可哀想なほど落ち込んでしまっているとのことだった。私は、心の中で、何回も何回も乾いた哄笑を響かせた。
情けない恨み節はこれくらいにして、私の中学時代の最大のアイドルは、タイガースのトッポ(加橋かつみ)であった。今までの歌手にはなかった声質と、何か神秘的な詞の世界に、すっかり魅了されていた。
まだアルバム(LPレコード)を買う余裕がなかったので、アルバムの中でトッポがリードヴォーカルを担当している曲を知ることができず、もっぱらカセットコーダーに録音した『花の首飾り』と『廃虚の鳩』を繰り返し聴いていた。
だから、『花の首飾り』が発売されてから1年、『廃虚の鳩』が出てからわずか半年で、トッポがタイガースからいなくなってしまったのは、本当にショッキングな出来事だった。
「花の首飾り」(Flower necklace)
菅原房子:作詞 なかにし礼:補作詞 すぎやまこういち:作・編曲 ザ・タイガース:歌
花咲く娘たちは 花咲く野辺で
ひな菊の花の首飾り やさしく編んでいた
おお 愛のしるし 花の首飾り
私の首に かけておくれよ
あなたの腕が からみつくように
花摘む娘たちは 日暮れの森の
湖に浮かぶ白鳥(しらとり)に 姿をかえていた
おお 愛のしるし 花の首飾り
私の首に かけてください
はかない声で 白鳥は言った
涙の白鳥に 花の首飾り
かけた時嘆く白鳥は 娘になりました
おお 愛のしるし 花の首飾り
おお 愛のしるし 花の首飾り
「廃虚の鳩」(A white dove)
山上路夫:作詞 村井邦彦:作・編曲 ザ・タイガース:歌
人はだれも 悪いことを
おぼえすぎた この世界
きずきあげた 楽園(ユートピア)は
こわれ去った もろくも
だれも見えない 廃虚の空
一羽の鳩がとんでる
真白い鳩が
生きることの よろこびを
今こそ知る 人はみな
汚れない世を この地上に
再び創る ために
人はめざめた
*生きることの よろこびを
今こそ知る 人はみな*
(*~*2回くり返し)
『花の首飾り』は、集英社の『明星』が、昭和43年の新年号に「特別大懸賞・スパークするタイガースの『歌う歌』をみんなでつくろう!!」という企画で、歌詞の一般公募をした時に応募されてきたものだという。
13万件を超える応募作の中から選ばれた菅原房子さんは、まだ北海道八雲町の女子高校生だった。当時、菅原さんたち女子学生の間では、野の花を摘んで花束にすることが流行っていたそうで、それにチャイコフスキーのバレエ音楽を重ね合わせたのだという。
本当に素晴らしい発想だと思う。『白鳥の湖』の内容を知らない私にとって、「私の首にかけておくれよ あなたの腕がからみつくように」というのが、最初は悪魔の囁きであることはわからなかった。たしか、その頃読んだ『明星』に詞の内容解説が載っていて、そこで覚えたものだと思う。
この幻想的な曲に、トッポの高音は本当によく合っていた。私には、それは湖底から流れてくる声に聴こえたものだ。感性のかけらもない同級生には、何ひとつ響かなかったかもしれないが…。
さて、最初はジュリーがリードヴォーカルの『銀河のロマンス』のB面として発表されたこの曲、大ヒットとなり両A面扱いとされ、タイガースのシングルの中では最もセールスのある作品となった。
『廃虚の鳩』は旧約聖書の『ノアの箱舟』の逸話を元に作られた。当時トッポの意向が中心となり企画されたタイガースのアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』のテーマに沿ったものだという。
この作品の発表の前後から、トッポはメッセージ色を前面に打ち出した曲に傾倒し始め、いわゆるアイドル路線から離れようとする。事務所側は前出の『ヒューマン・ルネッサンス』というトッポの好みの作品の発表に応じるなど、互いの接点を模索し、大切なアイドルの引き止めに躍起になるが、彼は気持ちを変えなかった。
そして昭和44年3月、事務所は「ザ・タイガース脱退劇」という、あたかもトッポが自発的に失踪したというシナリオを作り実行するが、これが仕組まれたものだと世間に知れ渡り、謝罪をすることになる。
この事件が、ちょうどGS全体の凋落期の始まりを告げる狼煙(のろし)のようになって、GSブームがスーッと引いていった、というのが私の印象である。私自身も、トッポがいなくなったタイガースに魅力を失い、徐々に他のジャンルの音楽に耳を傾けるようになった。
いつだったか、あれは昭和51、2年の頃だったと思う。私は一度だけ六本木の街はずれでトッポの姿を見かけたことがある。彼が『哀哭』という演歌調の曲を出してから少し経った、20歳代の後半の時分だった。
さすがに、着ている衣装も、履いている靴(ロンドンブーツだったような気がする)もたいへんにセンスが良く、かっこいいなと思ったものだが、殊の外地味で、小柄な方だなあという印象だった。とても普通の人に見えて、なぜだか少し安堵したことを覚えている。
-…つづく
第396回:流行り歌に寄せて No.196 「男はつらいよ」~昭和43年(1968年)
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