サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 10 歌 ルッジェロの大冒険
第 5 話:自らの使命を思い出したルッジェロ
さて前回は、邪悪な魔女アルチーナを振り切り、清らかな善き乙女ロジスティーラの居城にたどり着いたところまでをお話いたしました。華麗な城の門から前庭へと続く階段を一歩一歩降りてくるロジスティーラの清らかな音が辺りの景色に吸い込まれていき、ルッジェロはもはや夢見心地。最愛の思い姫ブラダマンテのことさえ心中から消えて、ただうっとりとロジスティーラを見つめるばかり。それにしても、それまで見たこともないロジスティーラの美しさ、けれどそれは男女の情愛を掻き立てるようなものではなく、自ずと心が清らかになってくるような、そんな美しさだった。
そして不思議なことに、その美しさには、人の心を惑わせる邪心のようなものを消し去る力があった。そして誰もが心の内に持つ、その人ならではの美意識の小さな結晶のようなものの存在に気付かせる力があった。ロジスティーラの美しい姿を目にするうちに、誰もが自らのなすべきことが何かが次第に明らかになってくるのだった。
だからロジスティーラを見つめるうち、ルッジェロの心の底から、次第に自らの使命が浮かび上がってきた。またルッジェロの心の中には深い悩みもあり、それはつまり、自らはサラセンの騎士でありながら、敵側の女傑ブラダマンテに心を奪われており、しかも邪悪の魔女アルチーナの妖術から脱することができたのも、ブラダマンテが手に入れた指輪のおかげ。さらには彼女の兄のリナルドやその従兄弟のオルランドなどの勇者たちの噂を耳にするにつけ、次第に彼らに親近感さえ抱くようになっていた。
そこでルッジェロは、ロジスティーラの城で楽しく過ごす思いを断ち切り、ひとまず空駆ける天馬イポグリフォに乗って世界を、とりわけシャルル大帝の陣営と大帝の味方をする軍勢をくまなく見て回り、また自分の力を役立てることができる事など何かを探しに旅立つことにした。
不思議なことにロジスティーラの美しさには人間以外のものをも魅了する力があるのか、気まぐれでルッジェロのいうことなど無視し続けてばかりいたイポグリフォが、ロジスティーラの命令には素直に従う。そんな彼女の助けをかりて、ようやく天馬を操る術を会得したルッジェロは、空から地上のあらゆる出来事を見る空中遊泳の旅に出た。
まずはサラセンの大軍勢に包囲されながらも、パリの城壁を固く閉ざしてイングランドからの援軍を待つシャルル大帝の陣営を空から見た後、今度はイングランドに飛び、名だたる勇者たちが大軍を率いてロンドンに集結しているのを見た。遠くスコットランドから馳せ参じる騎士たちもいた。ざっと数えてその数、騎馬武者だけで4万を超えると見て取れた。
ただルッジェロは、キリスト教徒軍であれサラセン軍の中であれ、大勢の軍勢の中に混じって闘う自分の姿を、どうしても思い浮かべることができなかった。大軍の中には剛勇リナルドの部隊の旗も見えた。その瞬間、ルッジェロはリナルドの妹ブラダマンテのことを思い出した。イポグリフォにしがみついたままブラダマンテを地上に残してきてしまったことが悔やまれた。もしかしたらと凛々しき騎士ルッジェロは思った。私は大義や戦のためにではなく、彼女のような人のために生きるべきではないのだろうか。それが騎士というものの本来の勤めなのではないだろうか?
そう思ったルッジェロは、男たちの大軍に背を向け、天馬イポグリフォと共に天に向かって舞い上がり、大地をくまなく巡ってブラダマンテを探しだすことにし、獅子の胴体と鷲の頭と翼を持つ天馬をアイルランドの方に向けた。
そんなルッジェロの目に孤島が映り、近づいてみればそこに、一人の裸の女性が、波が打ち寄せる岩陰に両手を鎖に繋がれている姿が映った。もしやブラダマンテが、と思ったがイポグリフォと共に急降下して近づけば、裸の女性はなんと絶世の美女アンジェリーカ。
さて、この続きは、第10歌 第6話にて。
-…つづく