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第31回:そして、日系人の強制収容所“アマチ”のこと その1 

更新日2023/08/24

 

二十数年前初めてサンドクリークを訪れた時、そこからすぐ近くに日系人の強制収容所があることすら知らなかった。アレッ、こんなところに第二次大戦中に日系人が収容されていたキャンプがあったんだ、ついでに見ておこうか、と至って程度の低い認識しか持っていなかった。

私が訪れたのはサンドクリークからほぼ真南に50キロばかり下った町、グラナダの西にある“アマチ”(Amache)収容所だった。だだっ広い敷地にコンクリートの基礎、土台だけが行儀良く並び残っているだけで、どうにか屋根のついた四畳半ほどの広さの御堂のような小さな建物の中に慰霊碑のような石碑があるだけだった。この強制収容所に1943年2月のピーク時で7,318人もが収容されていた。
 
コンクリートの土台だけが残る敷地は一般に開放されていて、と言うより、使い道のない荒地だから農耕にも、放牧にも適さず、放ったままになっているので、勝手に歩き回ることができる。閉鎖されてから半世紀以上経ち、雑草、雑木に覆われていた。

この偶然から訪れたアマチ強制収容所に足を踏み入れなかったら、サンドクリーク虐殺を書かなかったことだろう。サンドクリークから80年ほど後に、全く同じことをアメリカ政府は日系人相手に繰り返したと知った。
 
日系人の強制収用の実態を知るにつれ、インディアンに対するアメリカ政府の政策と、第二次対戦中の対日系人政策は、驚くほど似ていることに気がつき始めた。唯一の違いは、日系人収容所アマチを騎兵隊、軍が襲い、虐殺しなかったことだけだ。

No.31-01
アウシュヴィッツ強制収容所
学生の頃(50年も前になろうか)訪れた時、まだ生存していた
ユダヤ人捕虜だったお爺さんが案内しくれた。
数年前に訪れた時、今は世界遺産になり、大半のバラックは取り払われ、
緑地帯になり、弁当でも広げピクニックを楽しめるようにように様変わりしていた。

No.31-02
日系人が強制収容されていたアマチ強制収容所
アウシュヴィッツとアマチ強制収容所。驚くほどこの二つの収容所は似ている。
ただ、アマチにガスチェンバーはなかったが…。
バラ線を張り巡らした塀、見張りの高い塔、そこにはマシンガンを持った看守が24時間詰めていた。

インディアン、日系人がそれまで営々と築いていた生活手段を無視し、一方的に合衆国の都合で決めた用地に強引的に収容するのは、アメリカという国が始まった時からの伝統であるかのようだ。そして、インディアンも日系人も、れっきとしたアメリカ合衆国の国民だったのだが…。
 
アマチ強制収容所は1942年8月27日に設けられた。収容された日系人たちの従順さ、忍耐力、こんな条件の下においてさえ誇りを持って暮らしていたのには驚嘆させられる。荒地に小さな菜園を作り、学校のように子供教室を開き、腕に覚えのある医者、看護婦たちは診療所を開いている。シルクスクリーンのワークショップでは日本的絵画を刷り、収容所の外で売り出し、また、厳重な検閲があった中で新聞まで出している。

ルーズベルト大統領が発令した特別法案9066号は、日本の真珠湾攻撃に対する明らかな復讐的な処置だ。今では、ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていながら、あえて奇襲させ、ヨーロッパと太平洋側の日本との両面戦争をためらっていた世論と議会を、一気に日本との開戦に踏み切る、スプリングボードとして利用したことが明らかになっている。

特別法案9066号は、広い意味での軍事地域に敵国人を居住させない、すでにその地域に住んでいる者は所定の地域(収容所)に強制的に移住させる、というもので、対象になったのは、カルフォルニア、オレゴン、ワシントン州の海岸地帯全域に及んだ。
 
この法案には人種偏見、差別意識の前に、人道主義がいかに儚く潰されるモノだという典型を見る思いがする。第一、日系人もアイルランド系、アングロサクソン系などと同じで、税金を払っていたアメリカ人なのだ。これは合衆国政府が自ら人種偏見に基づいたバッシングを圧倒的な政府の力で施行したものだ。

やっていることは、ヒットラーが一般的なドイツ人の中に巣食うユダヤへの偏見を読み、一般のドイツ人民衆からの反対運動などは起こり得ないと踏んで、ユダヤ人を強制収容所に送った政策と基本的に変わらない。ルーズベルトはアメリカ人の中に、とりわけ西部で、真面目に働きすぎる?日系人に黄禍感があるのを知り、強制収容反対運動など起こらないと踏み、それを利用したのだと思う。
 
キリスト教的な人道主義は、彼ら白人が優位に立ち、色付き人種の弱者に同情と施しを与えうる時だけ成り立つ種類のものだ。同情される対象が力をつけ、競争的立場を取ったとなると、容赦なく引き摺り下ろすことに専念するのだ。
 
敵国の移民をアメリカの安全のために収容所送りにするなら、なぜドイツ系、イタリア系を日系人と同様に強制収容しなかったのだろうか、という基本的疑問が残る。現実的な政治では、ドイツ系、イタリア系を収容するなら、米国民の3分の1が対象になってしまうことだろうから、実際問題として、ドイツ系、イタリア系を収容所送りにすることは不可能であったにしろ、日系人バッシング法9066号制定の裏に、一つの大きな要因として、ジャップ、すなわち日系人は色付きだという、人種偏見があったことは確実だと思う。

アメリカの西岸地帯に日系人を居住させないという政策が、実際にアメリカの防衛にどれだけ役に立ったか、スパイ防止に繋がったか、太平洋戦争を勝利に導くために必要な処置だったか、などの突っ込んだ調査はなされていない。

この歴史に残る悪法9066号は1942年2月19日発令された。国家の安全を守るためという大きな看板を掲げ、アメリカ市民である日系人に犠牲を強いたのだ。日系人は自ら両手で持てるだけという身の回りのものを持ち、それまで住んでいた家、商売、農地を手放さなければならなかった。二束三文でもどうにか資産を売ることができた人は幸運な方だった。大半はFBIに強制連行され、それまで築き上げてきたルーツを断ち切らなければならなかった。

彼らに対する補償は、レーガンが大統領になってから、1件2万ドルという彼らが失ったものに対して、とてつもなく低い金額が提示されただけだった。それは退役軍人が受け取っている年金の1年分より遥かに低いものだ。

1940年の国勢調査では、ハワイの総人口は42万人で、そのうち16万人の日系人が住んでいた。ハワイの住人の37%が日系で、白人24%、フィリピン系12.4%、中国系6.8%を大きく上回るマジョリティーだった。日系二世の大半は日本本土に足を踏み入れたことがなく、日本語を操ることもできず、アメリカで生まれ、米語で教育受けた新アメリカ人だった。

真珠湾攻撃の以前にもハワイ日系人、二世の部隊が組織されていた。お国のために、アメリカ合衆国のために戦争に行こうという義勇軍、オアフ島の第298部隊、その他の島々からの第298部隊は本土のアーカンソー州、アラバマ州のキャンプに送られ、トレーニングを受けている。確かに、そこにはアメリカ国内でナチス支持、ムッソリーニ支持を打ち出し、そのような社会運動をしている“危険分子”も極少数であるがいるにはいた。
 
アメリカ陸軍省は日系人の連隊を太平洋戦線に送ることをためらっている。理由は敵か味方か区別がつかないから…というのだが、これも滑稽な話で、それならヨーロッパの前線にいるイタリア系、ドイツ系のアメリカ軍の兵隊はどうなるのだと言いたい。

おまけに、日系人部隊において、連隊長、中隊長クラス以上はすべて白人にすべしという組織構造をはっきりと打ち出している。日系部隊の小隊長でも、その半数は白人だった。ともあれ、日系人部隊第422連隊はイタリア戦線に送られた。ヨーロッパ戦線で目覚ましい活躍した第422歩兵連隊は、ドウス昌代の『ブリエアの解放者たち』に詳しい。

全米に10ヵ所設けられた強制収容所に収容された日系人は12万人に及ぶ。そのうちアマチ収容所に7,300人が収容されたことは書いた。ここアマチ収容所に両親、家族を置き、兵役に就いた若者がたくさんいた。母国アメリカのために戦う姿勢をはっきり取っているのだ。アマチ収容所から米軍に加わった、いわば義勇軍に応募した若者は953名に及ぶ。これは他の10ヵ所ある日系人収容所のトップだ。アマチ収容所から参戦した日系人兵の31名は戦死した。負傷者は105名だという記録が残っている。

米軍の組織中で、日系人部隊のように民族、人種、元の国籍よって別々のグループを形成している例はない。例えば、ギリシャ系部隊、アイルランド系部隊、イギリス系部隊、ポーランド系部隊などは存在しない。極少数の例外はあるにしろ、日系人だけは米軍の混成部隊に入らず、日系人だけで全く別の部隊を組織させられた。だから、第422連隊にアイルランド系、ポーランド系など他の民族からの兵隊は一人もいなかった。もちろん黒人もいなかった。日系人だけで固められた連隊だった。
 
確かに、大戦中の日本の陸軍も地域別にまとめられていた。北海道旭川の第七師団、第九師団は金沢、大阪、東京、九州と地域、都道府県ごとに連帯を組ませ、九州、東北の連隊は強く、大阪は腰抜けだという定評があり、各師団が互いに競争を図っていた。

-…つづく

 

 

第32回:そして、日系人の強制収容所“アマチ”のこと その2 〜日系人部隊

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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バックナンバー
第1回:消えゆくインディアン文化
第2回:意外に古いインディアンのアメリカ大陸移住
第3回:インディアンの社会 その1
第4回:インディアンの社会 その2
第5回:サンドクリーク前夜 その1
第6回:サンドクリーク前夜 その2
第7回:サンドクリーク前夜 その3
第8回:サンドクリーク前夜 その4
第9回:サンドクリーク前夜 その5
第10回:シヴィングトンという男 その1
第11回:シヴィングトンという男 その2
第12回:サンドクリークへの旅 その1
第13回:サンドクリークへの旅 その2
第14回:サンドクリークへの旅 その3
第15回:そして大虐殺が始まった その1
第16回:そして大虐殺が始まった その2
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