第32回:そして、日系人の強制収容所“アマチ”のこと その2 〜日系人部隊
雑多な移民から成るアメリカの軍組織において、どこの出身であろうが、どこからの移民であろうが、ごちゃ混ぜにして数ヵ所のトレーニングキャンプに収容し、そこで大隊、中隊、小隊に振り分けられる。
軍隊は当時のアメリカ社会よりも人種偏見の少ない組織だった。まぁ、比較の問題ではあるが。大戦後帰米した黒人兵が故郷に帰り、自分が育ち、暮らしてきた社会が如何に偏見と差別に満ちたところだったかに目覚め、軍体験が市民権運動を展開していく要因の一つになる。軍にあって、黒人兵は白人兵と共に命をかけた戦闘を繰り広げ、人種を越えた戦友をたくさん持ったが、いざ故郷に帰った途端に白黒は歴然と区別されている現実に直面したのだ。
軍というのは愛国心と深く結びついている組織だ。それを上手に時の政府は利用する。募兵に応じた日系人、国籍はアメリカで、母国は日本という若者はどのような感情を日本、アメリカに抱いていたのだろうか。市民権だけでなく生活権まで奪ったアメリカ政府に対して忠誠心を保つのは難しかったことだろう。ましてや強制収容所に両親、家族を残し、アメリカ軍に加わった二世たちの心境、苦悩は計り知れないものがある。

日系戦没者たちが寄付を募って
アマチ収容所から参戦し亡くなった日系人兵士たちの名前が
刻まれたキオスクが建てられていた(2021年撮影)
国が開戦する時、植民地獲得時代ならいざ知らず、国民を盛り上げ、戦争にいかにも正当な理由があるかのように世論を操作する。多くの場合はそれがフレームアップであったり、時の政府の一方的に歪んだ報道であったりするのだが、ともかくその時点で国民を納得させればそれで良い。
真珠湾攻撃はアメリカにとって格好の開戦理由になった。ジャップは卑怯にも宣戦布告もせずに奇襲した、そんな相手は目にモノ言わせてやっつけろ!と、アメリカ全体が傾いた。アメリカに住むジャップも卑怯者、裏切り者の同類だ、誰に遠慮がいるものかと、世論が傾き、それを見越してルーズベルトは9066法案を通過させたのだ。
植民地主義に遅れてきた合衆国は、米西戦争をハバナに係留していた戦艦ヨーク号が爆破した事件(今では積んでいた石炭の自然発火によるものだとほぼ確定されている)をスペインへの開戦理由にした。まったくのこじつけだ。強盗に開き直られた感のスペインにとってはたまったものではない。かと言って、スペインが中南米やキューバを植民地にしていることに正当性はまったくないのだが…。
結果、アメリカはキューバを中心にしたカリブの植民権?を獲て、フィリピンを奪い、属領にした。この米西戦争で、アメリカ側の人的損害は陸軍345名、海軍16名、対するスペインは陸軍3,000名、海軍560名、それに加えて病死者を13,000人も出した。アメリカにとって、非常に分留まりの良い、旨味のある戦争だった。
そして第一次世界大戦も、参戦理由が必要だった。折よくルシタニア号(イギリス船籍)がドイツのUボートに撃沈され、そこに100人のアメリカ人が乗っていた(総計1,198人の乗客、乗務員中)ことがアメリカ世論を動かし、参戦するに至った。
近いところでは、アメリカがベトナム戦争にのめり込む所以はトンキン湾事件だが、アメリカの駆逐艦マドックスが北ベトナムの海軍(と呼べるほどのものではなく、米軍に比せば、オモチャの船のようなものだが)に攻撃されたという牽強付会、屁理屈が開戦の正当性があるかのように報道された。
実際には、駆逐艦マードックは北ベトナムの領海内に無断で侵攻していたし、マードックはかすり傷程度の被害しか受けていなかったが、そんな事実はどうでも良いことで、共産主義をうち倒すために、戦争を始めるキッカケが欲しいだけだった。
このベトナム開戦はアメリカ上議会で賛成88、反対2、下議員議会で賛成416、反対0の絶対多数で可決された。世論が議会に如何に強い影響を及ぼすか、マスコミの力を思い知らされる。例えそれが歪められた事実であったとしても、、、。
日系人の強制収容はアメリカの歴史の数ある恥部の一つだ。現在、アメリカに住む私にとって、日系人の強制収容は生々しく迫ってくるものがある。もし、自分の身にそんなことが起こったら、強制収容に対してどう振る舞うだろうかと考えずにいられないのだ。
それはサンドクリークで虐殺されたシャイアン族、アラパホ族に対しても、万が一自分がシャイアン族だったら、大人しく白人との和平に応じただろうか、それともドッグ・ソルジャーに加わっていただろうか、と考えずにいられないのだ。差別される側、虐待を受ける側につい身を入れてしまうのだ。
 
収容所内に立ち並んでいたバラックの土台(2018年)

当時の収容所生活を語る写真入りパネルが何枚か展示されていた(2021年撮影)
日系人、二世たちが与えられた環境の中で、極めて限られた自由の下で人間の尊厳を失わずに、自分たちのコミュニティを造り、生活していたのは感動的なほどだ。だが、日系二世の中からアメリカ政府の横車を押すようなメチャクチャな法令に対するレジスタンス、抵抗運動はなかったのだろうか?
諦め、耐えることを美徳とした一世たちとは別にアメリカで生まれ育った二世たちは、強く自分の権利を主張するのを是とする環境で育っていたと思う。血は日本人でも教育はアメリカ的であり、アメリカ人の精神構造を持った若者がいたはずだし、彼らは必ずや抵抗運動をしたに違いないと我が身をその場に置き換えて推察したところ、意外に簡単に強制収容に抵抗した人たちがいたことが分かった。
-…つづく
第33回:強制収容に抵抗した日系人たち
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