第36回:メッセージは伝わるのか?街の看板、貼り紙のこと
更新日2004/10/07
前にもこの欄に書いたが、私は用賀の自宅から自由が丘の店まで、およそ6㎞の道のりを自転車通勤している。30分近くをかけてゆっくりゆっくり漕いでいるので、道中いろいろなものが目に入ってくるが、看板の標語や貼り紙に書かれた文にはけっこう興味深いものが多く、自転車を止めてしっかり見てしまうこともある。
お役所や警察、町会などが出しているものの中には、よくわけのわからないものがある。道沿いに何本か立っている看板に、
「おとしよりの交通事故をこの街からなくそう」
というのがあった。
言いたいことは理解できないわけではないが、いったいこれを読んでだれが注意を喚起されるのだろう。また、たいへんうがった見方をすれば、子どもや若者、そして隣街のおとしよりはどうなるのか。
交通標語というのは、おかしなものが多い気がする。今もあるのだろうか、交番の前などに、毎月10日、20日、30日には「今日は交通事故死ゼロの日」というのがあった。確かに交通事故ゼロの日というのは不可能なので、現実的に事故死ゼロをスローガンにしているのだろうが、その他の日はどうなのだという思いは拭えない。横断歩道脇の「ゆっくり待って、さっさと渡る」も歩行者をバカにするなと言いたい。
こうなってくると、漫才師の故・人生行路師匠(ご存じでない方の方が多いだろうな)のように次々と出てくる。これは通勤路の話から少しはずれるが、昨年春、中央自動車道を走っていたときに陸橋に貼られた横断幕にこんなのがあった。
「ゴールデンウイーク期間中は渋滞が予想されます。あらかじめご注意ください」
官費の無駄遣いも、極まった感がある。
その他の官製のものでは、最近、道路脇の「ここがひったくり発生地点、注意!」という看板や、ゴミ集積所に「資源持ち去り厳禁」などという貼り紙が目立ち、時代の背景を感じさせる。
これが、民間人が書いたものになると、グッと切実感や迫力が増す。心底困っていることを訴えるケースが多いからだろう。
「月極駐車場 契約者以外駐車厳禁。違犯車は空気を抜くぞ!」
かなりの気合いの入れようだ。だれもタイヤの空気を抜かれたくはないから無断駐車をためらうことだろう。それにしても「違犯車」とは凄い。この場合、正しくはもちろん「違反者」であって、「違犯車」ではない。逆に空気を抜いてしまったら、間違いなく「違犯者」として取り調べを受けるだろう。この看板は、字面も迫力満点だった。
なぜか、空き缶などが捨てられやすいポイントがある。その土地を持っている人にとっては迷惑至極だろう。
「人がされていやがること、していません?」
こちらは先ほどと対照的にやさしい女性文字で書かれている。やんわりと人の良心に訴えかけているのだが、残念ながら空き缶を平気で投げ捨てていく連中の心にはあまり届かないらしい。いつ見ても、ゴミの量は変わっていない。
犬の落とし物についての看板や貼り紙の数はかなり多い。最近、また増えてきているようだ。これには官製のものもいくつかあって、可愛い犬の絵とともに「飼い主が始末しましょう」「必ず持ち帰りましょう」というのをよく見かける。
個人の場合はもっと深刻だ。
「いい加減にしてください!人間として当たり前のことをして帰ってください。今度放置しているのを見つけたら、必ず警察に通報します!!」
どうして、毎回人のペットの落とし物の後始末を続けなくてはならないのか、うんざりしている様子が伝わってくる。
「犬の放尿厳禁! しばらく掲示を怠ったら、ひどい!」
こちらは、悔しい思いを正直に吐露しているのだが、どこかユーモラスな響きがある。もちろん書いた人は、そこを狙ったつもりはないだろう。
昨日見ると掲示がすでになかった。雨続きではがれてしまったか、インクが滲んでしまい自らはがしてしまったのだろう。ひどいことになる前に、怠らず掲示をして欲しい。
そう言えば何年か前、南伸坊氏が「ハリガミ考現学」というのを書いたことがあり、私も読んだ記憶がある。その中には、かなり奇想天外なものもあって、とても面白かった。
私も自転車で今後もっとつぶさに街の中を観察し、ユニークな「作品」を見つけていきたい。そして、最優秀作品には秘かに「今年の看板・貼り紙文学賞」を授与してみたいと思う。
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