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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から
 

第882回:抜きん出た女性たち その1

更新日2025/01/16


女性の中に、対男性として考えることができない人がいます。そんなチッポケな女権運動なんか眼中になく、ひたすらイチ個人、人間としてずば抜けた業績を挙げている人たちです。

キューリー夫人(Marie Curie)の偉業やアメリア・エアハート(Amelia Earhart;パイロット;飛行機で世界一周を試みた)の冒険は、男女の壁を超えたものです。彼女たちに女だからという意識はあることはあったかもしれませんが、それよりも何よりも自分のなすべきことをするという強固な個性と意志力がまずあったのだと思います。

とりわけ文化人類学の分野では、マーガレット・ミード(Margaret Mead)、ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)らが偉大な存在として輝いています。 
 
でも、ハリエット・チャーマーズ・アダムス(Harriet Chalmers Adams)を知っている人は少ないでしょう。アメリカでも彼女の名前を知っている人はまずいません。私も『ナショナル・ジオグラフィック』に掲載された、ハリエットの昔のラテンアメリカ紀行、そして最近はまり込んでいる第一次世界大戦の記事を読むまで知りませんでした。ハリエットは偉大な旅行者、ジャーナリストでした。

ハリエットは24歳で結婚して、新婚早々、旦那さんのフランクリン・ピアース・アダムスと中南米を主に馬で、時折カヌーで40,000マイル(約64,000キロ)の旅を3年かけて行っているのです。それが19世紀の終わりから20世紀の初めの頃のことなのです(彼女が生まれたのは1875年です)。

彼女は子供頃から馬の扱いに慣れており、8歳の時にシエラネヴァダを馬で縦断しています。但し、この時は父親と一緒でしたが、筋金入りのアウトドア派だったことは間違いありません。
 
長い旅では、常に新鮮な好奇心を保つのはとても難しくなってくるものです。目新しいはずの物事、風物よりも、自分の生理的欲求というのか、お腹いっぱい食べて、清潔なところでグッスリ眠りたい欲求が先にたち、もう何を見ても同じだと感動が薄れていくものです。

ところが、ハリエットはいつも感動、感激を保ち、詳細に観察する目を曇らせていないのです。彼女の旅行記が優れているのは、彼女の視線がいつもその地に住み、暮らしている人々と同じ目の高さにあるからでしょう。

そしてハリエットの文章の素晴らしさ、というのか対象を語る簡潔さ、的確さはどこで学んだのでしょう。ハリエットはほとんど野育ちで大学に行っていないし、もちろん、ジャーナリズや英文学を学んだわけではありません。彼女の紀行文、レポートを読んでいると、大学教育は価値のない無駄なことのようにさえ思えます。ハリエットは20を超える特集記事を『ナショナル・ジオグラフィック』に書いています。

3年間に渡る中南米の旅で、ハリエットはスペインから独立しようとしているそれらの国々の実情に興味を惹かれたのでしょう、再三中南米を訪れています。それからアジア、アフリカにまで足を伸ばし、エチオピアではハイレ・セラシェ(Haile Selassie I)がイタリアから独立し、王権を確立した時に現場にいました。
 
おりしも第一次世界大戦の真っ最中でしたから、ジャーナリスト、カメラマン(カメラウーマンかな)として前線の、しかも塹壕の中に身を置いて取材してるのです。ベトナム戦争の時、アメリカ軍がジャーナリストを歓迎し、大切にもてなしたのとは違い、その時代は戦場に紛れ込んでくる取材人、記者は邪魔者扱いされていましたし、なんと言っても汗と血、死臭、砲弾の煙が漂い、泥に濡れ入り組んだトレンチ(塹壕)の下に、しかも女性がそんなところに入り込むこと自体、異常なことでした。

そんなところで彼女は数ヵ月も過ごしているのです。もちろんトレンチ、塹壕は女性が何ヵ月も過ごせるようなところではなく、一応は女である私が心配するのは、ハリエットはどのようにトイレ、排泄行為をしていたのかということです。
 
ハリエットはフランス軍の前線に大きな重い箱型カメラを持ち込み、写真を撮った初めての女性でした。フランス軍はハリエットの危険を顧みない勇気、いかなる劣悪な条件下でも生き抜く気骨を見て前線に入ることを許可したのでしょう。そのような勇気、ガッツのあるなしは、実際に緊急事態に陥ってみないと分からないものです。そしてそれは男女、年齢、人種、体躯に関係なく、天が気まぐれに人間に与えたものらしいのです。

ハリエットにはそんな冷静なガッツがあったのでしょう。加えて異文化で緊急体験を生き延びてきた体験が強固な意思を作り上げてきたのでしょう。彼女の戦場レポートと写真は決してセンセイショナリズムに陥らず、兵士たちを優しい目て観ているように感じられます。何よりも彼女の写真には一種の詩情が漂っているように思えます。

ハリエットは決して声高に女性の権利、立場の強化を叫んだりしませんでしたが、西欧が当然のこととして享受している文明、豊かさへ疑問を抱き、また同時に南米に深く染み込んでいるキリスト教、カトリックのあり方に対し疑念を表しています。
 
ハリエット・シャルメール・アダムスは、男女間の壁を打ち破った、優れた冒険家、探検家、旅行家、ジャーナリストであり、保守的だと言われるイギリスのローヤル・ジオグラフィック・ソサイティのメンバーに推挙されました。

早すぎた晩年、50代の終わりに、自分に活躍の場を与えてくれたフランスに移住し、そこで62年の生涯を終えました。

882-01
ハリエット・チャーマーズ・アダムス
(Harriet Chalmers Adams;1875-1937)

 

 

第883回:抜きん出た女性たち その2

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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