第741回:“焚書”と“禁書”
超後期高齢者に属するウチのダンナさんが図書館から借りてくるDVDは、いずれも私が生まれるはるか前の恐ろしく古い白黒映画が多く、こんな時代に映画があったのかという歴史的なものばかりです。
その中で、比較的新しく、しかも総天然色カラー映画がありました。彼が好きな監督フランソワ・トリュフォー(François Truffaut)、そして彼が若かりし頃、相当熱を上げていたらしいジュリー・クリスティ(Julie Christie)主演の『Fahrenheit 451』(華氏451度)という映画です。ダンナさんはすでに何度も観ていたようですが、「これ、お前に見せたくて借りてきた」と言うのです。たぶん言い訳でしょうけど…。
と言うのは、アメリカがこのまま行けば、映画のように“焚書”に繋がりかねない法案が南部の元奴隷州を中心に可決されているからです。この法案は、子供たち、生徒に不快感を与えるような、歴史、社会を教えてはならない…と、なんだか何を目的としているのか意味の取りようもない条例に聞こえます。
そこがミソで、具体的には最近特に目立って多くなってきた警察官や暴力的右翼(自称愛国主義者)らが黒人を殺害する事件に対抗し、“黒人の生命も大切だ(Black Lives Matter)”運動が盛んになってきました。そんな黒人問題を学校の授業、社会科で教えてはならない、そして歴史の授業でも、黒人奴隷のこと、リンチのこと、奴隷解放運動、市民権運動のことなど、白人の生徒に不快な思いをさせるから教えてはならないという法令なのです。
それじゃ、今のアメリカの民主主儀を作り上げた大事件、南北戦争を歴史の授業でどう取り扱うのでしょう。もっとも、アメリカの右翼団体は、ナチスドイツが行ったユダヤ人大虐殺はなかった、あれは共産主義者や社会主義者が作り上げたデマだと信じ、そのように公言していますから、アメリカに黒人奴隷などいなかった、南北戦争前も今も黒人は与えられたものに満足し、幸せな生活を送っている(我々白人が与えてやっている)となります。
そのようなとんでもない意見を抱くこと自体、一つの問題ですが、それを成文化して、法令で黒人の歴史、市民権運動などを公立の学校で教えてはならないとまでヤル危険性は、ナチスの時代を思わせます。
アメリカの義務教育は高校まで(17~18歳)ですから、社会意識を持ち始める前に黒人問題の意識を消してしまえと図っているのでしょう。それは、小中高の学校から、社会意識の高い教師、多くの黒人教師の追放に繋がっています。そして、学校の図書館から、”生徒に不快感を与える本“(白人の生徒にと言う意味ですが)を置いてはならないと発展してきたのです。
これはナチスドイツが行った“焚書”の道へ一歩踏み出したと言っていいでしょう。アメリカが誇ってよいはずの“言論の自由”など、跡形もなく消え失せつつあるのです。
映画『華氏451度』の原作は、レイ・ブラッドベリー(Ray Bradbury)です。彼が自分のタイプライターも持てない貧乏な時代、図書館で1時間何セントだかで使わせてもらったタイプライターで、2週間で書き上げた空想小説です。
この小説では、本自体、いかなるモノでもまったく禁止され、そのための特別警察消防士が目を光らせ、本を持っている、または持っているらしい家に乗り込み、乱暴な家宅捜索をし、万が一、本が見つかったら、本の持ち主は逮捕、本はその場で焼く、という設定の話です。それに対し、本の愛好家は各自一冊の本を暗記し、森の中に集まり、暗誦した本を聞かせるという、一種の未来空想小説です。
この本がロングセラーになっているのは、読者がそんなことにはならないだろうという安心感と、ヒョットするとそんな時代が来るかもしれないという不安、恐怖心があるからでしようか。
『華氏451度』のように、あらゆる本をこの世からなくする社会にはならないでしょうけど、現代において、“禁書”はもっと手の混んだ遣り方で行われているように思えます。政府の検閲という名の規制、学校教科書の審査、そしていつの時代にもある著者、出版社の自己規制が影で働いているように見えます。それに加えて、インターネットのTwitter、Facebookなどに対する締め付けなど、直接私たちの目に触れる前に、どこかで誰かがコントロールしている疑いを払拭できません。
アメリカ南部の州で法令化された生徒に不快感を与えてはならない条例は、現代版の“焚書”に繋がりかねない、とても危険な事態だと思うのです。
-…つづく
第742回:雪ヤギグループとの再会
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