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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第84回:テキヤのトム

更新日2019/09/12

 

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1980年代のテキヤ・スタイル(イビサ旧市街)

イビサの夜はディスコ・ミュージックを大音量で流しているバーが軒を並べ、レストランがその間に挟まれ、ブティックも夜遅くまでやっていて、その上、海岸通りやカジェ・マジョール、カジェ・デラ・ヴィルヘンはテキヤがビッシリと店を並べている。

イビサではテキヤ通りを“ヒッピー・マーケット”として優遇しており、狭い小路は肘をすり合わせるように夜店が出ていた。あまりに物売りヒッピーが多くなり、市役所では“ハンドクラフト”、いわば手作りのものだけに路上販売の許可を出す方針を打ち出した。インド、中国、インドネシア(主にバリ島)から仕入れた民芸品だけを売るのではなく、自作せよ、と言うのだ。

許可証を取るには商品のサンプルを市役所の係官に見せなくてはならないことになったのだ。だが、それもスペイン的大らかさで、許可を取るために提示したモノは、幅2メートルはあるテキヤ・テーブルの片隅に置くだけで、売っている商品の90数%はインド、中国製のアクセサリー、バリ島のバティックや飾り物が占めることになるのに時間はかからなかった。

トムは頑丈な大男のアメリカ人で、まだ20代後半だと思うのだが、すでに前陣、後陣の両方からハゲが迫ってきていた。どこへ行くにも自転車を乗り回していた。彼ほどそっけないと言うか、商売気のないテキヤも珍しかった。周囲の連中は、出店場所の近くの家と話をつけ、電線を引き、ライトで煌々とテーブルを照らし、商品の並べ方にも気を配り、企業努力?を惜しまないのだが、トムは自転車のサドルに彼の唯一の商品である針金を器用に曲げて作った名前のブローチを一つだけ置き、100ペセタ(当時の価値で約500円)と書いた紙をセロテープでくっ付けてあるだけなのだ。

トムは自転車の後ろに突っ立って、いつも分厚い本を読んでいるのだ。いったいそんなやり方で、誰が自分の名前のブローチを作ってくれと頼むものかと思っていた。トムに「お前ネ~、もう少し商売っ気を出して、せめて作ったショーヒン、針金の名前を5、6個並べ、“3分であなたの名前を作ります”とか、針金の種類も、アルパカ、銀メッキ、銅線と3、4種類置いたらどうだ。そうしたら、『カサ・デ・バンブー』に週1回でなく、2、3回来ることができるようになるぞ」と余計な忠告をしたこともあった。

トムの方は、「そんなことしたって、何も変わりゃしないさ。今でも充分だからな。俺のビジネスは原価10%以下、売り上げの90%が懐に入るのだぞ、設備投資はラジオペンチ(先の尖ったペンチ)2丁と針金だけなんだぞ」とのたまうのだった。

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ダル・ヴィラ(城壁内の旧市街)は急な坂ばかり

2シーズンと経たないうちに、トムは旧市街、城壁の内側のダル・ヴィラ(Dalt Vila)に小さな家を買ったのだった。ハウスワーミング・パーティー(新築でなくても、当人にとって新しい住居になる家に越す時のお祝い)に呼ばれ、彼の家に行った。

大体が、イビサの古い家はあまり家具を必要としない造りになっている。壁に沿って石と漆喰の長いベンチがあり、そこにクッションを置いてソファーにし、台所や棚も家を建てた時に棚板を渡すだけで済むように石かレンガの突起、棚支えが付けてある。ベッドも膝以下の高さの舞台のようなところにマットレスを敷くだけだ。

そんなことは何軒かの古い家を見て充分承知していた。それにしても、トムの家は、いったい何の目的で建てられたのか見当がつきかねる造りだった。馬車が通れるくらいの大きくて頑丈一手張りの表ドアは荒れるに任せてあり、そのペンキが剥げたドアをくぐると、いきなり20畳ほどのサルーンというのか居間に入り込むのだ。

急斜面に建てられているから、港の眺望が開けていてもよさそうなものだが、小さな窓のすぐ前に鼻を突き合わせるように隣の家の白壁が迫っていて、全体に大きな洞窟、それでなければ石造りの質屋の倉庫のようだった。

寝室は腰をかがめるように壁をくぐったところにあり、岩がそのままむき出しなっていた。もちろん窓はない。「ここは安眠できそうだな~」とは言ってみたけど、これだけ空気の動かない地下みたいな部屋に棲んだら、3日と経ずに全身カビだらけになるのではと思わせた。

イビセンコのぺぺは、「アリャ、ダル・ヴィラの急な坂、階段でモノを運ぶためのロバの小屋だったのではないか。昔は結構ロバ運輸が主力だったからな~」と、謎解きをしてくれた。

それにしても、家具らしきものが一つもない、超ミニマリストの家だった。相当数の本が4、5段はある括り付けの棚に乱雑に積まれてはいたが…。

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ダル・ヴィラ内の古い民家(本文とは無関係) 

トムがエリート大学のバークレー(University of California, Berkeley)でジャーナリズムを専攻し、学位を取っていることは知っていたが、考古学も同時に専攻していたことをその時初めて知った。トムは、「優秀なヤツがワンサといるジャーナリズムではとても食えないので、安全弁として考古学、ローマ以前のイングランドを専門にした」と言うのだ。「それに、俺は生きた人間にインタビューするのはどうにも性に合わないから、黙っている遺跡、遺物の方が向いているんだ」と付け加えた。

トムはイビサに住む英語使いのアメリカ人やイギリス人とツルムことが全くなかった。いつも一人で行動し、自転車でイビサの文字通り隅々まで探索していた。彼のスペイン語会話は私などより相当酷く、アメリカ流のアクセントがそこここに出てくるシロモノだった。ところが、スペイン語の読解力と書く能力は非常に高く、家の売買契約書などの公式書類、登記簿などを軽々と理解し、しかも返答をスペイン語で書いていることに驚かされた。

トムは毎年、10月の半ばにはロンドンに飛び、5月までイビサを留守にするのが常だった。ロンドンでテームズ川河畔の発掘に携わっているとのことだった。そこでの仕事はほとんどボランティアみたいなものだ…とのことで、第一、雨が多く寒い冬のイギリスで、泥んこまみれになって発掘に携わる人間が少ないので、何時でも俺みたいな者でも受け入れてくれる、とも言っていた。

トムと最後に会ったのは、私がイビサを離れる数年前だったと思う。イビサより何倍も多い観光客、避暑客をこなすマジョルカの飛行場で偶然出くわしたのだ。マジョルカからは激安の飛行機が冬場でも数多く飛んでいたし、イビサ-マジョルカ間には高速フェリーが就航していたから、冬のシーズンオフにイビサからヨーロッパの主要都市へ飛ぶのに、マジョルカ経由が流行り始めていた。

目立つほど大男のトムは遠くからでも人目を引いた。内気でシャイなトムにしては満面に笑みを浮かべ、私と出くわしたことを喜んでくれた。ロンドン郊外のテームズ川発掘が忙しくなり、イビサを引き上げ、イギリスに住むことにしたこと、旧市街の家は彼が留守にしている間、毎年のように荒らされ、何もかも、自転車も盗まれ、昨年などは、我が家に帰ったら、ジプシーの家族が住み込んでいたこと、警察に届け、オマワリさんと一緒に彼の家に戻ったら、蜘蛛の子をかき消すようにジプシー家族はいなくなっており、残骸、ゴミの山だけが残されていたこと、大きな木のドアを修理し、中を片付けて、どうにか住み始めたところ、彼が家にいようがいまいが、ドアに石をブツケるは、窓ガラスは割るは、連日連夜、ジプシーのガキどもの攻撃を受け、とても静かに暮らすことなどできなくなったこと……を淋しそうに語ったのだった。

「こんな時、お前ならどうする? 言ってみれば、俺はジプシーを仲間にできず、逆に人種偏見を強く持つことになってしまっただけだ。もうイビサには戻ってこないつもりだよ…」と別れたのだった。

その後、4、5年して、私もトムとは全く別の理由からイビサを去り、アメリカで暮らすことになった。さらに7、8年は経っていたから、最後にトムに会ってから10年以上の月日が流れていたと思う。『ナショナル・ジオグラフィック(National Geographic)』誌にテームズ川河畔の発掘が特集された。ローマ侵攻以前の遺跡が続々と発掘されたというのだ。

その特集記事を書いたのがトーマス・ナントカだった。私は彼の姓を知らない。いつもテキヤのトム、大男のトムと呼んでいた。だから、『ナショナル・ジオグラフィック』の記事を書いたトム、トーマスがイビサにいたテキヤのトムと同人物だという確証は何もないのだが、「ヤッパリ、お前か、よくやったな」とトムにエールを送りたい気分になった。

-…つづく

 

 

第85回:漂泊の日本人老画家

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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