第485回:流行り歌に寄せて No.280 「耳をすましてごらん」〜昭和47年(1972年)7月21日リリース
NHKの連続テレビ小説(いわゆる、朝ドラ)の『藍より青く』で使われていた歌で、広い意味では主題歌と言えると思う。
但し、オープニング・テーマで使用されていたわけではない。朝ドラのオープニング・テーマは、第1作『娘と私』以来、ずっと歌詞のない、インストゥルメンタルだった。だから、歌詞入りの歌は、ドラマの挿入歌として使われたり、一週間の終わりにエンディングで流されていた。この曲も、そういう使われ方をしていた。
最初に、歌詞のある曲、いわゆる「主題歌」が登場したのは昭和59年(1984年)度上期放送の『ロマンス』で、芹洋子と主演の榎木孝明が『夢こそ人生』」という曲だった。〈以上、NHKアーカイブス 歴代の「朝ドラ」主題歌 から〉
私も、これを聴いた当時、歌詞付きということで「かなり斬新だな」と驚いた記憶がある。その後、何回か歌詞のついた曲が使用され、ここ10年ほどの朝ドラでは、ずっと続けて歌詞のある主題歌がオープニング・テーマとして使われているようだ。
さて、本田路津子は、昭和45年(1970年)9月1日に『秋でもないのに』で、CBSソニーからデビュー後、翌46年2月1日は『風がはこぶもの』、9月21日には『一人の手』と、着実にヒット曲を出し続けていた。そして、一つ先輩である森山良子と並んでカレッジ・フォークの旗手のような存在になっていた。
当時、フォーク界ではジョーン・バエズの影響を受けた人が多く、本田路津子にも多くのマスコミが、その影響について訊ねたところ「いえ、私の尊敬しているのはジュディー・コリンズです」と、普段控えめな彼女が、キッパリと答えたという。
両親がクリスチャンで、「路津子」の名前も、旧約聖書の「ルツ記」から取られている。本人は、結婚するまではクリスチャンではなかったが、桜美林大学在学中は聖歌隊に所属していた。
私の家のことで恐縮だが、亡くなった私の両親もクリスチャンで、もう半世紀前の話だが、ある時、森山良子の讃美歌集のレコードを購入した。けれども、二人はそれを聴いても何かしっくり来ないようだった。「声がとても美しく、歌がとてもお上手なのだが、讃美歌には聴こえない」というのが二人の弁だった。
そして、何年か経ったある日、結婚をして受洗後の本田路津子が歌う讃美歌を聴く機会があった時、「これが讃美歌だよね」と二人は頷き合っていた。信者にしか分からない讃美歌の世界があるのだろうかと、不思議に思った記憶がある。
「耳をすましてごらん」 山田太一:作詞 湯浅譲二:作・編曲 本田路津子:歌
耳をすましてごらん
あれははるかな 海のとどろき
めぐり逢い 見つめあい
誓いあった あの日から
生きるの 強く
ひとりではないから
旅をつづけてはるか
ひとりふり向く 遠いふるさと
想い出に しあわせに
寂しくないわと ほほえんで
生きるの 強く
あの海があるから
空を見上げてごらん
あれは南の 風のささやき
時は過ぎ 人は去り
冬の世界を 歩むとも
生きるの 強く
あの愛があるから
以前このコラムで、あおい輝彦の『二人の世界』をご紹介したとき、作詞者の山田太一について「この人が作詞をするのは珍しく、この曲の他で有名なのは、同じく自身の脚本による昭和47年度のNHK連続テレビ小説『藍より青く』のテーマ曲『耳をすましてごらん』(湯浅譲二:作曲、本田路津子:歌)くらいである。」と書いたことがあった。
今回調べ直したところ、山田太一の作詞した曲は、その他にあと2曲あることが分かった。いずれも、ご本人による脚本のTBSテレビのドラマの主題歌であった。
一つは、昭和46年(1971年)放映、森田健作主演の『たんとんとん』の主題歌『君のいる空』(木下忠司:作・編曲 森田健作:歌)。そして、もう一つは昭和49年放映、渥美清主演の『ヨイショ』の主題歌『いつかはきっと』(深町純:作曲 小山恭弘:編曲 渥美清:歌)であった。
一つひとつの詞を読んでみると、専門の作詞家では書かない、ストレートな言葉の響きのようなものが感じられる。脚本を書くのとは、まったく別の作業だと思うので、ご本人は意外と楽しまれていたかもわからない。あるいは、どうも苦手ということで、だから作品数が少なかったのか。
いずれにしろ、もう確かめる術はない。昨年の11月29日に89歳で亡くなってしまった。私も、この方の多くの作品に心を打たれた人間の一人である。
作・編曲の湯浅譲二は、日本の現代音楽の作曲家の第一人者として、数多くの管弦楽曲、協奏曲、室内楽、独奏曲、バレエ・舞踏音楽の他に、電子音楽、コンピュータ音楽などを手がけている。
また、合唱曲や童謡も数多く作り、映画、テレビ・ラジオの音楽にも、その才能を発揮した。この方も、今年、今からひと月前の7月21日に94歳で亡くなった。
こうして見ると、山田太一の作詞した作品は、木下忠司、深町純、湯浅譲二と、すべていわゆる歌謡曲畑ではない作曲家と組んだものになっていて、大変興味深い。
話は戻るが、本田路津子は、昭和50年(1975年)に結婚を機に引退し渡米した。その前に行なわれた「さよならコンサート」の最後の曲に『至上の愛』(ジュディー・コリンズのアメイジング・グレイス)を熱唱して、自らがクリスチャンになることを示したそうである。
そして、13年後の昭和63年に帰国して以来、各教会を回り、ゴスペル・シンガーとして、現在も讃美歌を歌い続けている。
-…つづく
第486回:流行り歌に寄せて No.281 「旅の宿」~昭和47年(1972年)7月1日リリース
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