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第486回:流行り歌に寄せて No.281 「旅の宿」~昭和47年(1972年)7月1日リリース

更新日2024/09/05


吉田拓郎の最大のヒット曲で、彼のシングルとしては唯一オリコン・チャートで1位を記録した曲である。そして、作詞家・岡本おさみの名を、最初に世に知らしめた曲でもあった。

私は、以前からずっと、岡本おさみとはどんな人だろう、そして吉田拓郎とはどのような契機で一緒に作品を作るようになったのだろうと考えていたが、疑問をそのままにしていた。

今回、このコラムを書くために少し調べてみたが、当時の音楽シーンをある程度知る人間には、大変興味深いことだった。

岡本おさみは、放送作家だった。彼はニッポン放送系のラジオ番組「バイタリス・フォーク・ビレッジ」<後に「ライオン・フォーク・ビレッジ」;昭和41年(1966年)8月1日〜昭和57年(1982年)4月2日まで放送>の制作に番組当初から関わっていた。

私も東海ラジオで、この放送をよく聴いていた。この番組のDJは、ジミー時田、広川あけみ、佐良直美(私はこの人から聴き始めた)と変わっていき、4代目が吉田拓郎だった。ここで岡本おさみ(以下:岡本)と吉田拓郎(以下:拓郎)は出会う。

最初は、ただの放送作家とDJの関係であった二人だったが、それが変わっていく出来事があった。岡本は、その頃、渋谷にあるライブ・スポット「ジャンジャン」によく通っていた。その「ジャンジャン」の経営者と話している時に、「拓郎のライブをここでやってみないか…」ということになり、岡本が企画、段取りをした。

そのライブは、フォーク・ソングの歴史に伝説のように残っている、熱気溢れるものだったらしい。あまりの人気で「ジャンジャン」に人が入りきれずに路上に溢れかえり、収拾がつかずに、予定だった公演回数をこなし切れずに打ち切られたほどだった。

このライブを、仕事の担当として毎回聴いていた岡本は、ふいに作詞をしたい思いに駆られたのだという。自分の書いた詞を拓郎に歌ってもらえたらという思いで、1ヵ月でノート1冊分の詞を書き、「気に入ったら使って欲しい」と拓郎に渡した。

自分の詞に果たして曲を載せ歌ってくれるのかと、不安の気持ちでいたが、拓郎は、ノートを受け取った次のライブで、岡本が書いた『ハイライト』と『花嫁になる君に』の詞に曲をつけて歌ったのだ。

この2曲は、拓郎ファンであれば誰でもよく知っているだろう。『ハイライト』は「僕はハイライトを吸ってます」から、『花嫁になる君に』は、「指がふれたら ポツン落ちてしまった」から始まる曲。私も時々口ずさむ。(JASRACさん、これも申請しなくてはいけませんか…)

岡本にとって、『ハイライト』の方は、コミック・ソングのような曲にされたことが心外だったようだが、『花嫁になる君に』(元の題は『花嫁になるルミに』)は、ストレートに胸に飛び込んできた。そして、『花嫁になる君に』は、拓郎がアルバム『人間なんて』に収録をし、岡本の作詞家デビュー作となったのである。

それからしばらく経って、岡本が電話で拓郎に伝えたのが『旅の宿』の詞だった。拓郎は、岡本が電話で、「浴衣のきみは尾花の簪」と最初のフレーズを口にしただけで、とんでもない曲になりそうだという予感がしたそうだ。


「旅の宿」  岡本おさみ:作詞  よしだたくろう:作曲  よしだたくろう:歌


浴衣のきみは 尾花(すすき)の簪(かんざし)

熱燗徳利の首 つまんで

もういっぱいいかがなんて

みょうに 色っぽいね

 

ぼくはぼくで あぐらをかいて

きみの頬と耳は まっかっか

ああ風流だなんて

ひとつ俳句でも ひねって

 

部屋の灯を すっかり消して

風呂あがりの髪 いい香り

上弦の月だったっけ

ひさしぶりだね 月見るなんて

 

ぼくはすっかり 酔っちまって

きみの膝枕に うっとり

もう飲みすぎちまって

きみを抱く気にも なれないみたい

 

この詞は、岡本が妻と新婚旅行に行った青森県十和田市の蔦温泉に宿泊したことを元に作られている。このことについては、岡本の『旅に唄あり』という著書に詳しく書かれている。

「上弦の月だったっけ」の詞は、『旅の宿』がレコードになった後で、岡本の妻が聴き、「あの時の月が、上弦の月だって分かっていたのね」と岡本に聞いたところ、「いや、それがわからないまま詞を書いたんだ」と答えた。

岡本の妻は、大変に天体には詳しい人らしい。「下弦じゃ言葉の響きも悪いからね」と半ば弁解する岡本に、「あのね、あの季節のあの時期には、下弦の月って出ないのよ」と諭したという。素敵なエピソードだと思う。


ところで、『旅の宿』はシングルと、アルバム『元気です。』に収録されているとはバージョンが異なる。いろいろな楽器(中にはダンボール箱の中に毛布を敷いてスティックで叩いたものも使用されたようだ)が使われたシングル・バージョンとは違い、アルバム・バージョンはギターとハーモニカだけが使われている。

拓郎は、レコーディングの前にライブでこの曲を歌っているが、アルバム・バージョンはその演奏に近い。但し、ライブでは「熱燗徳利の首をつまんで」と歌っているが、この「を」が余分で歌いづらいと判断したのだろう。シングルでも、アルバムでも、この助詞が削除されている。

岡本は、拓郎への提供曲、そして森進一の『襟裳岬』など、共同で他の歌手に提供した曲が圧倒的に多いが、泉谷しげるの『黒いカバン』、岸田智史の『きみの朝』、南こうせつの『愛する人へ』などの詞も少なからず書いている。

大変残念なことに、平成27年(2015年)11月30日に心不全のため、73歳で亡くなっている。昨年4月に、岡本の地元である鳥取県米子市で「岡本おさみさんを語る会」(長谷川泰二会長)が発足し、彼の偉業を讃えるための音楽記念碑の建設が計画されているという。

-…つづく

 

 

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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