第837回:貧困とは その2
ところが、この貧困の基準が揺れ動いてきているのです。数年前、私たち親兄弟の間でクリスマスプレゼントを止めよう、その代わり、どこか、誰か、本当に貧しい人、家族、クリスマスプレゼントなど子供たちに買ってあげることができない家庭に、プレゼントをしてあげようと決めたことがあります。
そのようなエージェントがあり、そこを通じてプレゼントをそのような家庭に贈ることにしたのです。子供の多い母子家庭が主でした。一応、彼らが一番欲しがっているもののリストを送ってもらい、彼らの要望に沿ってプレゼントを用意することにしたのです。
そのリストを見て呆れてしまいました。スマホ、ゲーム機器、iPod、最新モデルのパソコン、高級なファッションジムシューズ、地元のプロスポーツのロゴの入った皮ジャンパーなどなど、私たちが持っていない、持とうともしていない贅沢品の長大なリストでした。
これを見てダンナさん、すぐに、「こいつら、飢えていないし、貧乏でもない、もうこれは止めるぞ、それより本当に飢えているアジア、アフリカの難民の方に回すぞ」と決めてしまいました。
OECD(経済開発協力機構)では、貧困を絶対的貧困と相対的貧困に分けています。絶対的貧困というのは、生きていくのに事欠く、私たちが旧来思っている本当の貧困状態のことで、ウチのダンナさんが基準としている貧しさです。
相対的貧困というのは、アメリカの大都会のゲットーの子供たちのように衣食住はあるのだけど、学校で周りの生徒皆が持っている、スマホ、ナイキの運動靴などを買うことができない貧困?を意味します。
ですから、アメリカに貧困層が広がっていると言っても、それは食べ物がなく、飢え死にしそうな人が増えているというのではなく、マスコミで盛んに宣伝している道具、モノを周りの人と同じように持つことができない、というだけのことなのです。
この相対的貧困は、ダンナさんの考える貧しさの範疇には全く入らず、周りに惑わされることのない精神、貧乏なら貧乏に耐える気構えを持つことが先決だと、誠に時代、世代の相違と言うのか、前世紀的なのです。もし余計なモノが欲しいなら、新聞配達でも何でも良いからアルバイトをしろ…と言うのです。
これは日本、ヨーロッパの国々など、俗に先進国と言われている国々でも同じでしょうけど、とても中央アフリカの国々の人たちの貧しさと同じ基準で語ることなどできません。しかし、私たちがスマホを買うお金で、いや、1ヵ月の使用料で本当に飢えている中央アフリカの人たち、数人分、数十人分の水、食べ物を買うことができるのだから、スマホを捨てろと言えない理屈で、住んでいる社会、時代によって貧困の基準が大きく違ってくるのです。
アメリカで裕福層と貧困層の格差が広がってきているのは確かです。ですが、貧富の差がない社会を目指したはずの共産主義の国でも、中国を観れば判るようにその差は広がるばかりなのです。
私の周囲に“富豪”の例に挙げる人がいないし、実際にそんな大金持ちを直接知らないので、統計上の話しかできないのが苦しいところですが、アメリカで1%の人が富のほとんどすべてを所有していると言われています。大金持ちの人たち、上位0.01パーセントの人の平均年収は2,900万ドル(約40億円かしら)で、これを上位0.1%に下げても600万ドル(8億4,000万円くらい)、これを思いっきり下げて上位1%の人、400万人(総人口3億900万人ですから)の方々の平均年収が126万ドル(1億7,600万円?)あるというのです<これは小林由美さんの著作『一極社会のアメリカの暴走』を参考にしました>。
そして、超富裕層と赤貧層の格差は広がるばかりです。いくら私の兄弟、友達がお金持ちだと言っても、この1%のカテゴリーに入っていません。チョット想像外の年収を得ている人がどこかにいるのでしょうね。
ましてや、貧富の差を縮めようともしないアメリカの政策では、建国当時から大変な階級社会でしたし、今もそうです。
封建時代の身分社会とは違い、アメリカではまだ本人の意思、意欲で這い上がることがある程度可能な社会ではある…と信じたいのですが、こんなに広がってしまった貧富の差を飛び越えて、上位1%組に加わるのは、ミッション・インポシブルに思えまてきます。
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