第487回:流行り歌に寄せて No.282 「折鶴」~昭和47年(1972年)8月25日リリース
折鶴を、今折ってみろと言われれば、多分中途でまごつくかもしれない。おそらく、折り方の図を一度見れば、思い出して折り進めていくことはできるだろう。
折り紙というのは、日本伝統の遊びであり、大変ポピュラーなものと言える。その中でも折鶴は最も親しまれており、また優れた作品だと思う。最後の工程で、双方に突き出た紙を、一つは折り曲げて首に、もう一つはそのまま尾にするところは、シンプルであるゆえに見事だと言える。
その折鶴の世界を歌謡曲に取り入れた、安井かずみの発想と手腕も見事だと思う。また、奥村チヨの『終着駅』、三善英史の『雨』など、歌詞から作曲家に転じて順調に実績を積み重ねてきた浜圭介の、叙情的なメロディーも大変美しい。
千葉紘子は、昭和45年(1970年)2月、大阪万博開幕の直前に、日本万国博覧会会場で行なわれた「第3回全国カンツォーネコンクール」で優勝をしたことから、芸能界に入ったという経歴を持つ。
翌、昭和46年7月『恋する女に悔いはない』(阿久悠:作詞 すぎやまこういち:作・編曲)でレコード・デビューを果たすが、ヒットには結びつかなかった。今回聴いてみたが、カンツォーネを歌っていた人だけあって、ドラマ性のある曲を、見事に歌い上げていて、素晴らしい歌唱である。
2枚目のシングル『はぐれ鳥』(小西美恵子:作詞 宮川泰:作・編曲)は、センチメンタルな宮川メロディーを、しっとりと歌っている。
3枚目が、今回の『折鶴』である。実はこの曲は、当初『瀬戸の花嫁』に続くシングル曲として小柳ルミ子に提供される予定だった。(千葉紘子も小柳ルミ子も、当時、同じ渡辺プロダクション所属、レコード・デビューは小柳の方が2ヵ月あまり早い)
ところが、どのような経緯があったかは分からないが、千葉紘子がシングル・レコードとして出して、小柳ルミ子は、千葉のシングル発売日(昭和47年8月25日)と同日に、アルバム『京のにわか雨 はるかなるこころのふるさと SOFTLY RUMIKO KOYANAGI』を発売し、その中の収録曲となった。(シングル『京のにわか雨』は8月10日に発売)
「折鶴」 安井かずみ:作詞 浜圭介:作曲 森岡賢一郎:編曲 千葉紘子:歌
誰が教えてくれたのか 忘れたけれど折鶴を
無邪気だったあの頃 今は願いごと
折ってたたんで裏がえし
まだおぼえてた折鶴を
今あの人の胸に とばす夕暮れどき
「わたしは待っています」と伝えて
いつでもきれいな夢を
いろんなことがあるけれど
それは誰でもそうだけど
悔いのない青春を 詩(うた)って歩きたい
誰に教わったわけじゃなく
忘れられない面影を
これが恋と気づいた そよ風の季節
会って別れて会いたくて
白い指先折鶴に
人に言えない想い 託す夕暮れどき
「わたしは大好きです」と伝えて
小さな夢が燃えてる
泣いて笑って明日また
それはいつでもそうだけど
青い空の心で あなたを愛したい
今、両方の曲を聴いてみると、小柳の歌唱はやはり素晴らしいが、私としては千葉の歌唱の方がこの曲には合っていると思う。
ところで、両曲とも編曲は、同じ森岡賢一郎(長年、小柳のほとんどの曲を担当)だが、そのテイストはかなり異なっている。小柳盤の方は、洋楽器を中心にして、どちらかと言えばムード・ポップス風に仕上げてある。
一方の千葉盤は、和楽器が中心で、演歌というよりも、童謡調とも言える味わいを出しており、同じ曲とも大変丁寧に仕上げた名アレンジで、森岡という人の非凡な才能を垣間見る気がする。
さて、千葉紘子は、歌手として活動を続けながら、昭和55年からはラジオのパーソナリティーとして活躍をしていた。その後、更生保護事業に携わることになり、昭和58年に法務省の篤志面接委員、平成2年(1990年)には保護司に就任し、全国各地の少年院などを回って慰問や院生のカウンセリングを行なっている。
さらに、矯正協会副会長、東京家庭裁判所家事調停委員などに就任し、これらの業績により、更生保護事業に永年貢献した人に対する瀬戸山賞を受賞、また法務大臣表彰は6回受けている。そして、平成30年の秋の叙勲では、瑞宝双光章を受章した。
歌の方では、約10年ぶりのレコーディングとして、平成13年に自らが詞を書いた『扉を開けて』(岩坂士京:作曲 伊戸のりお:編曲)を発表。苦しみ続ける少年、少女たちに向けてのメッセージが込められた曲であった。
今後も、健やかに活動を続けていただきたい。
-…つづく
第488回:流行り歌に寄せて No.283 「男の子女の子」~昭和47年(1972年)8月1日リリース
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