第34回:サンドクリーク虐殺事件 終章
二十数年ぶりに訪れたアマチ強制収容所は、サンドクリーク同様、様変わりしていた。入口にはアマチ収容所から参戦した兵士の名前が刻まれた小さな塔がいくつか並び、当時を忍ぶ写真パネルが建てられていた。これらは若い世代、祖父母がアマチに収容されていたという人たちが中心になって、運動を起こし、“アマチ国立歴史地域”の指定認定に持っていった結果だ。彼らは、コロラド州の議員を動かし、国立公園の管理下に置こうと地道な運動をしている。
地元グラナダの高校、そしてデンバーの大学もアマチ収容所の保存運動に参加し、考古学とまではとても呼べない発掘に力を入れている。
一歩一歩、国立歴史地域指定に向けて、それから国定公園へと、このように気の遠くなる地道な努力は、カルヴィン・ハダのように家族にアマチ収容所の体験者を持つ人たちが中心になり展開している。カルヴィン・ハダの父親、ジェームス・ハダはアマチから募兵に応じ、ヨーロッパ戦線に送られ、終戦とともに生還した。
しかし、息子カルヴィンは14歳まで、アマチ収容所のことやそこで父親が過ごし、募兵に応じたことなど知らなかったと語っている。身を切る思いをしてきたハダ・ファミリーは子供たちを純然たるアメリカ人として育てていたのだ。カルヴィンが14歳の時、父親ジェームスがアマチ収容所のことを記録した本を与え、それから、カルヴィンのアマチへの長い模索の道、日本人のルーツ、文化遺産への探求が始まった。
目をみはらせるような遺跡や構造物があるわけでない、当事国にとってはむしろ忘れてしまいたい負の遺産、アウシュヴィッツやサンドクリーク、そしてアマチ収容所跡などを保存することに一体どんな意味があるのだという、大勢を占める世論に対抗し、保存運動を展開するのは、地を這うような粘り強さを要したことだったろう。
カルヴィン・ハダのような人物のおかけで、アマチ収容所跡は国立歴史地域指定になり、アメリカの恥部と日系人が被った悲劇の一端を観ることができるようになったのだ。たとえ訪れる人が極めて少ないにしろ、残す価値は充分あると信じている。
国の歴史的ランドマークに指定された時のプラーク
強制収容所所とは言わずにRelocation Center(配置を変えのためセンター)と銘打ってある。
実情は全く強制収容だったのだが…。
このプレートの日本語の方は、ハッキリと“強制収容所”と刻んである。
学園紛争に嫌気がさし、大学の途中でバックパッカーとしてヨーロッパを旅した時、なぜユダヤ人強制収容所、ホロコーストの現場を訪ね歩いたのか、未だによく分からない。そして、アメリカに住み始めてからすぐにインディアンたちの史跡とも言えない消滅しつつある悲劇の現場を訪れたのは何のためだったのだろうか。
歴史の必然性などは現時点で、我が身を高みに置き、鳥瞰図的に見下ろし、過去を断罪するようなものだと言いながら、私自身、今になって過去に米国政府がとってきたインディアン、日系人に対する政策を激しく非難している。サンドクリークに見られるインディアン虐殺、アマチ収容所に詰め込まれた日系人の悲劇の底にあるのは必然性などではなく、アングロサクソン、コーカソイドの有色人種に対する偏見と白人至上主義があったと思う。
偶然から(必然ではない)私の連れ合いがコーカソイド系のアメリカ人であり、私はもうかれこれ40年もアメリカに住んでいる。俗に言う、米国グリーンカード(在米労働許可証)を保持してはいるが、国籍は日本のままで、税金は米国に取られるが、投票権のない外国人という立場だ。だからこそ、半ば第三者的に外から観た批判ができるのかもしれない。
これは多分に自分の意思で選んだことで、私はいつでも問題なくアメリカ国籍を取得できる資格を持っているのだが、それには日本国籍を破棄しなければならないという条件が付く。日本がヨーロッパや中南米の多くの国々のように二重国籍を許しているなら、日本とアメリカ両方の国籍を取っていたとことだろう。だが、日本は二重国籍を全く許していない。
私は生まれ育った日本を切り離すことができないまま、中途半端状態でアメリカ在住者として40年近く過ごしてきたことになる。
幸い、これも偶然からか、日本とアメリカは経済の摩擦はあったにしろ、敵害関係になったり、戦争をおっ始めたりしなくて済んできた。万が一そんなことになれば、真っ先に追放、あるいは収容所送りになるのは私のような立場の人間だ。
インディアンたちに対する政策、ここで取り上げたのはシャイアン族とアラパホ族に対するサンドクリーク虐殺事件だが、そしてそれは大戦中の日系人に対する暴虐的処置、そして今、ラティーノと呼ばれている中南米人に対する愚かな政策に引き継がれている。
私自身が鈍感なせいか、アメリカに住んでいて、肌の色のため、あるいは日本人であるという理由で差別を受けたことはないと思う。逆に、連れ合いの方が、黄色い肌の夫を守るために神経を使っている節がある。でも、私に言わせれば、偏見は誰にでもある、もし彼らが間違ったイメージに基づく偏見を抱いているなら、そんな奴らとは関係を持たないことに限る、距離を置け、そのうちにこっちのことも分かってくるだろう…という気長な態度を取ることにしている。しかし、そんな個人的な感覚、対処の仕方には限度がある。
今、アメリカで続発している警察官による黒人射殺事件が、東洋系、日系人に起こり始めたらどうするのか、日米の経済摩擦が高じて戦争になったら私自身どういう身の振り方をするのか、分からない。
サンドクリーク事件を調べ、現地を訪れながら、気が迷ってしょうがなかった。何度も途中で止めようかとさえ思った。どうにか今まで続けることができたのは、アマチ収容所のことが頭から抜けず、サンドクリークとの関連があったからだと思う。サンドクリークは、アメリカが現在まで引きずっている解決を見ないままの事案なのだ。
アマチ収容所は、もう一歩でアウシュヴィッツになるところだったことを忘れるべきでない。
-…つづく
第35回:バッファローを絶滅に追いやったこと
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