第86回:カフェ・セントラルのヨハン
イビサのカフェやバールは種別があり、ヴァラ・デル・レイ通りにあるファッショナブルな人のたまり場『モンテ・ソル』(Monte Sol)の常連は、ドラッグ、マリファナ、ハシシ人種がタムロする『バール・マリアーノ』(Bar Mariano)に決して行かない。ヴィア・プニカ通りのカフェ・バール、『ミアミ』(Miami)、『ミラン』(Milano)を居城にする地元の人たちは、まずヴァラ・デル・レイのカフェテラスに陣取ることはない。
『カフェ・セントラル』(Café Central)は地元の人も、ファッショナブルな観光客も、イビサに別荘持つお金持ちも、今日は少し張り込んで、ゆっくり朝食、お昼を摂ろうかという時、誰でも行くところだ。
リゾートホテルやピソが立ち並ぶフィゲレータス地区
『カフェ・セントラル』は旧市街から2キロほど離れたフィゲレータス(Figueretas)地区にある。フィゲレータスは海岸線にリゾートホテルが立ち並ぶ新市街で、海岸線から1、2本の通りに入ると、ピソ(piso;スペイン的アパート)群がひしめく緑の少ない、埃っぽい町並みが拡がっているところだ。
カフェテリアのロケーションとしては良くない、と言うより最悪だった。そんな高層のピソに挟まれた猫の額ほどのパティオにテーブルを4、5脚並べただけで、余所目にはそこで何かショーバイをしているのか、ただの個人のパティオなのか判断がつきかねる場所だった。台所は隣合わせたピソの1階にあり、そこで絶品のチーズケーキやアップルパイなどのケーキ類が焼かれ、腸詰ハムが生まれるのだ。
コックでオーナーのホアン(ドイツ人だからヨハンと呼ぶべきか)は、私がイビサに移り棲んだ時、『カサ・デ・バンブー』のあるロスモリーノス地区からトンネルを抜け、坂道を下り切ったところにある城門近くに小さな店と言うより、仕事場兼キッチンを持っていた。主に、ホテルや高級レストランに自家製のハム、ソーセージ、デザートを造って、卸していた。
小さな店先があり、そこで小売もしていた。いつ行っても店番というのか店員がいたためしがなく、大声で呼ぶと、大きな前掛けで手を拭きながら奥からヨハンがノソッと出てくるのだった。ヨハンの店というか仕事場直販店を教えてくれたのは、旨い物好きなギュンターだった。
スペインの腸詰ソーセージいろいろ(イメージ写真)
ヨハンはドイツで修行を積んだ本格的なシェフで、珍しいことにデザートのケーキ類と肉屋の勢力分野であるハムやソーセージの腸詰類を同時にこなしているのだった。イビサを訪れる避暑客の50%はドイツ、北欧系だから、それなりの需要があるのだ。スペインにはハモン・セラーノ(Jamón Serrano;塩漬け豚肉生ハム)、チョリソ(chorizo;香辛料入り腸詰ソーセージ)、サルチッチャ. (salchicha;ソーセージ)、ブティファーラ(Butifarra;豚の血入りのソーセージ)と独特の肉の処理、保存法があり、それなりにワインによく合って美味しいものだ。今こうして書いていても生唾が湧いてくるほどだ。
ドイツも負けてはおらず、単純なはずのフランクフルト・ソーセージでも、脂を落としながら炭火で焼くと、どこが違うのか、ヨハンのモノはなるほどと思わせるのだった。ヨハンはソーセージ類は4、5種類だけで、他はデザート類、チョコレートケーキが5、6種類、シフォンケーキ、チーズケーキが2種類、アップルパイ、ピーチパイくらいで品数は非常に少なかった。だが、いずれも絶品と呼びたくなるものばかりだった。
一般的にスペインのケーキ類はこれでもかというほど甘く、人によっては頭が痛くなるほど甘いのだ。それに、スペインでは新鮮なミルク、クリームが手に入りにくいので、どうしても缶に入ったものを使う。リンゴも小粒で甘く、果物として食べる分にはいいのだが、そしてリンゴ酒を作るには向いているのだろうが、パイにするにはある程度の酸味がなければ風味が出てこない…らしいのだ。これも、後でヨハンから聞いて知ったことだ。そんな適切な材料を仕入れるのが一番大変なことのようだった。ミルク、クリームはオランダから、酸っぱいリンゴはベルギーから取り寄せていた。
フィゲレータス地区に職場を移したのは、なんとしても広く大きな台所が必要になってきたからで、そこで小売もしていたが、カフェテリアはあくまで付け足しだった。パティオのカフェテリアはヨハンの連れ合い、シャキシャキしたカタラン女性のアイディアだと言っていた。
醜い壁にブーゲンビリアを這わせ、そこここに観葉植物を配し、天幕を張り、景色こそ全くないが、上手く小宇宙を作り上げていた。それもヨハンはテレながら、壁はボロ隠し、天幕はピソの上の階の住人が平気でラグ、絨毯などをバタバタやり、ホコリ、ゴミを落としてくるから、急遽の自衛策だった、と言うのだ。
ヨハンは週に一度は『カサ・デ・バンブー』に来た。ホテル、レストランへの配達の帰りか、ついでに立ち寄った風で、軽食のサラダにビールを定番のように摂った。彼は他の常連のドイツ人たちともあまり話をしなかった。元々口数が少なく、ドイツ人にしては珍しいくらい“押し”の弱い静かな性格の持ち主で、イビサに長年住んでいるにも拘わらず、全く太陽に当たらず、陰性植物のように青いくらい真っ白な顔と腕をしていた。
彼の『カフェ・セントラル』が人気なのは、もちろんヨハンが作るケーキ、ソーセージ、ハムが群を抜いて美味しいからだが、コーヒーもスペインではエスプレッソ一本槍なところを逆手にとり、香りを生かした濃いドリップコーヒーにしていたからだろう。しかも小さなコーヒーポットで出すので、カップに2杯半は飲めるのだった。カフェテリア業として、コックたるヨハンがいなくても、ケーキを切って出すだけ、コーヒーを落とすだけで、注文がきてから火を使って料理するものが全くないのは、シゴク合理的なやり方なのだ。
そして、誕生日、結婚記念日、ラ・コムニヨン(La Comunión;聖体拝領、聖餐式)など、お祝い事の時、シャンパンにケーキというスペインの習慣を上手く捉えていたと思う。ケーキ類などは毎朝彼が焼いておき、切るだけで出せるし、シャンパンも高価なフランスの銘柄を置かず、カタルーニア、ナヴァラ産のもの、アストーリアス地方の発砲酒シードラ(Sidra;サイダーだがアルコール含有率が6~10%あるもの)などを数多く揃えていた。少し気取ったムキには絞りたてのオレンジジュースにシャンパンを注ぎ、出していた。
私も何かの機会がある度に『カフェ・セントラル』をよく利用した。友達の子供の誕生日などはココと決めていたほどだ。
あの、ほろ苦いチョコレートの香りを生かしたケーキ、惜しみなくグラン・マルニエ(Grand Marnier;オレンジのリキュール)を使ったムースに辛口のカバ(Cava;スペイン産シャンパン)を懐かしく思い出すのだ。そして、いくら脳みその方がふやけてきても、舌の記憶はいつまで経っても鮮明に蘇るものだと知るのだった。
ザッハトルテには生クリームが似合う(イメージ写真)
-…つづく
第87回:白髪の老嬢、カモメのミミさん
|