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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第87回:白髪の老嬢、カモメのミミさん

更新日2019/10/03

 

長く棲んだイビサの体験談、人物伝を書き残しておこうと『のらり』に掲載を始めた時には、せいぜい1年、50回くらいでタネが尽きると思っていた。ところが記憶というのは連鎖的に作用するもので、アア…そういえばこんなこともあった、こんな人もいたと際限なく思い出され、どうもゴシップ集大成的になってしまうのだ。

だが、元々人物評というのはゴシップ、と言って悪ければエピソードの積み重ねで、その人間を浮き立たせるところに芸があるのだから、それに徹してヤレと開き直るしかない…と思いつき、このまま突っ走ることにしたのだった。イビサ島物語はイビサ人物伝、列伝になってもマア~イイカ…という諦めも多少あるのだが…。

ミミさんは真っ白なオカッパ頭の老嬢だ。小柄、痩せ型、行動的で元気一杯を絵に描いたようなお婆さんだ。マーティンのバー『タベルナ(Taberna)』で初めて知り合った時、彼女はすでに80歳前後だったと思う。イギリスのどこの地方の話し方だろうか、口を大きく開け閉めして話す割には聞き取りにくい英語を話した。

ミミさん英語はどこかの地方のものではなく、総入れ歯のせいであんな話し方になり、口を開け閉めするのも入れ歯が落ちないように口をすぐ閉めなければならず、そうかといって口を開けずにモゴモゴやったのでは全く通じない、結果、音節のはじめは大きく口を開け発音し、入れ歯が落ちないうちに、即口を閉める…この連続であのようなしゃべり方になったと聞かされ、納得した。 

天涯孤独なのか、ミミさんから子供、ダンナの話を聞いたことがない。夜のバーをハシゴ徘徊する時も、昼間旧市街の市場で見かける時もいつも一人だった。そして、いつも水色に白抜きのカモメの絵が付いたTシャツを着ていた。同じ柄のTシャツを何枚も持っていたのか、一枚だけの着たきりすずめだったのか定かではないが、カモメのTシャツはミミさんの制服だった。小柄な彼女には大きすぎるカパソ(藁で編んだイビセンコバッグ)を肩から掛け、しっかりした独特の歩き方で、いつも目的があるかのように闊歩していた。

Ibiza-Bar02
ナイトライフが充実しているイビザ旧市街

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   地元の人はまず行かない観光客御用達バール『ZOO』

イビサ常駐組は誰でもミミさんを、あの元気の良いお婆ちゃんとして知っていたと思う。とりわけ、夜遅く旧市街のバールをハシゴする人種の間では、ミミさんを知らなければモグリとみなされるほどだった。ミミさんはメッポウ酒に強く、あの歳で、小さな体のどこにアレだけの酒が入っていくのか、消化できるのか、ハタの人間が不安になるほど飲んだ。

悪いことに、ミミさんがホームグラウンドにしている、バール『タベルナ』『フィエスタ(Fiesta)』『オベッハ・ネグラ(Obeja Negra)』では、誰もが争うようにして白髪のお婆ちゃんにパイントのビールを奢るのだ。ミミさんは全くお金を持たず、使わずにハシゴできるのだ。 

ミミさんは会う人ごとに、恐らくイギリスではやらないと思うのだが、彼女がフランス式かスペイン式と思い込んでいる遣り方で親愛の情の挨拶、両方のホッペタにキスするのだった。スペイン人はこんな時、ホッペを軽く合わせる程度なのだが、ミミさんのは唾がこぼれそうなほど唇を思いっきりこちらのホッペタに持ってきて、ブッチュッとばかり音を立てて吸うのだ。そして、往々にしてこちらのホッペタに大量の唾が付くことになる。

ミミさんが、何で生活していたのか確かなことは知らない。あの歳だから、イギリスからの年金があり、それで当時まだ物価がめちゃくちゃに安かったスペインで充分に暮らせたのだろう。それに、何軒かの別荘番、持ち主が国に帰って不在の間、掃除し見回りのようなこともしていた。とりわけ犬、猫などのペットのいる別荘では重宝されていた。ミミさんは責任感が強いから、信用されていたのだ。

ただ、ミミさんの勢力範囲というか、見回ることができる家は、旧市街を中心に徒歩で1時間くらいのところまでに限られていた。彼女は車の運転どころか、モペット程度の原付にも乗らなかったので、もっぱら健脚を誇る2本の足の及ぶところまでが行動範囲だった。

ある年、ミミさんがイビサから突然消えた。彼女と親しくしていたバーの常連たちも、彼女がどこにいるのか、生きているのか死んでいるのかさえ知らなかった。ミミさんは行方不明になったのだ。私はあのように元気一杯、好奇心旺盛で旅行好きなミミさんのことだから、なにもイビサでなくても、どこか他に良いところを見つけ、棲んでいるのでないかと思っていた。

ミミさんはある日忽然と、何事もなかったかのように『タベルナ』に現れたのだ。
それから、ミミさんが何度も繰り返し語り、バーの飲み仲間の間で有名になった“ミミのアラブ牢獄事件”が語り継がれることになったのだ。当然のことだが、口から口へと伝わるうちに、盛大に尾ひれが付き、ミミさんは麻薬の運送屋になり、アラブの黒幕マフィアの間で女王的地位にいた…とまでまことしやかに語られた。

私が直接ミミさんの口から聞いたオリジナル武勇伝は次のようなものだった。
ミミさんは元々旅行好きで、とりわけアラブ文化に若い頃から強い関心を寄せていた。エジプトのカイロやイラクのバクダッドなど何度も訪れていた。その年も、いつものようにロンドンからの激安バス、マジックバスでカイロに入り、勝手知ったるエジプト国内を回り、アレキサンドリアからバスを乗り継いでヨルダンに入るまでは良かったのだが…。

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ヨルダンの首都アンマン市内の遠景

ヨルダンを出て、ロンドンに帰る時、アンマンの飛行場でチェックイン・カウンターの前に並んでいると、品の良いイギリス中年女性がトイレに行く間、スーツケースを視ていてくれないかと頼まれ、ミミさんは快く引き受けた。クダンの女性と入れ替わるように私服の官憲がスッと寄ってきて、チケットと手荷物の両方が調べられ、見知らぬ女性から預かったスーツケースには、真空パックのように固められたマリファナがゴッソリ入っていたのだった。

ミミさんがこれは行きがかりの女性がトイレに行くからと預かったものだ…としきりに弁明したが、その女性はいつまで経っても現れず、そんな言い訳を検査官が信じるわけもなく、ミミさんは拘留されてしまった。クダンの女性が、旅行者らしからぬ背広を着た二人連れの男が近づいてくるのを目ざとく見つけ、とっさにスーツケースを白髪頭の老嬢、ミミさんに託し、トンズラを決め込んだのだろう。

ミミさんの言い分、言い訳に、検察も裁判官も聞く耳を持たず、拘置所から牢屋に直行させられたのだった。判決は5年の禁固刑だった。牢に入れられてからのミミさんの活躍がミミさんのミミさんたるところだった。英国の大使館に連絡を取り、ロンドンからアラブ語の達者な弁護士を呼び寄せたのだが、どこの国でも外国の裁判に介入するのをためらうものだし、長大な時間がかかるのだった。

その間、ミミさんは女刑囚に英語を教え、かつ短い運動の時間に徒手体操を指導したのだ。この時、私はミミさんが長いこと教職にあり、英語(国語だが)と体育という全くかけ離れた分野の教師を長年務めていたことを知った。そして、ヨルダンの女性専門の刑務所にたくさんの外国人、ドイツ人、スカンジナヴィア人、フランス人、イギリス人らが拘留されており、その中に日本人も二人いたと言っていた。ヨルダン人、モスリムの女性は別棟になっていた。

ミミさんの徒手体操と英語教室は大いに受け、アラブの女性たちも、離れた片隅で参加するほどになった。女性の看守までもがオイッチ、ニイと体を動かし始めた。判決が下る前に入れられていた拘置所は狭く悲惨だったが、刑務所の雑居房は20人ほどの大きな部屋で、隣の雑居房との行き来も自由で、どこか懐かしんでいるような話しぶりだった。

イギリス大使館と弁護士の働きで、ミミさんは結局6ヵ月で釈放された。一旦ロンドンに送られたが、すぐにイビサに舞い戻ってきたのだった。スペインでは国外で実刑を受けた人、とりわけ政治犯に対して神経質だったが、その他の犯罪者、前科者にはズボラだった。ミミさんも何の問題もなくスペインに入国している。

ミミさんは相変わらずカモメのTシャツを着込み、奢り酒を飲み、そのお返しにヨルダンでの顛末を語るのだった。

ミミさんは、カモメのようにどこへでもスイスイ飛んでいくかのようだった。ギュンターは、「あんな白髪頭で総入れ歯のカモメがどこにいる?」と言うのだが…。

-…つづく

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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