第841回:たかがラーメン、されどラーメン・・・
私の学生時代、なんと言っても一番安くて、ともかくお腹を満たすことができるのはインスタントラーメンでした。それも、今のように豊富な種類はなく、バラエティーも乏しく、ともかく安いだけが取り柄の間に合わせ食料でした。なんせ、10個で1ドルでしたから、貧乏学生にとっては堪えられない食品でした。そのせいかどうか、日本に行ってもラーメンにはサッパリ魅力を感じなくなってしまいました。日本には、ラーメンでなくても他に美味しいものが溢れていましたから…。
アメリカですでに日本食のお寿司、刺身、天ぷら、すき焼きは広く知られ固定していますが、ここにきてラーメンがちょっとしたブームになってきたのです。もともとサンフランシスコやロスアンジェルス、ニューヨークなどの大都会には日本人相手のラーメン屋さんがありましたが、ここにきてグルメなラーメン屋さんがアメリカ中に店を出し始め、そしてそれが結構人気があるようなのです。
コロラド州のロッキー山脈の東、デンヴァーの北40~50キロにある大学町ボールダーは、近くにIBMの大きなセンターがあったりで、ちょっとしたブームタウンですが、そこに住む超グルメの友人の家に遊びに行った時、日本人のダンナさんへの心遣いからでしょうか、ラーメンを打ち、スープは椎茸、ハムの骨からとった本格的なもので、恐ろしく早食いのダンナさんでさえ、ズルズル、ゴクゴクとやるのをためらっている様子で、「オイ、なんだか高級フランス料理を頂くように姿勢を正さなきゃならない雰囲気だなぁ」とのたまっていました。
というのは、彼も貧乏学生時代にインスタントラーメンに盛大にお世話になっていて、「オレ、正田美智子さん(現在、皇太后)の親が始めた日清製粉にずいぶん借りがあるからな」とつぶやいています。初めて本当の?普通の味噌ラーメンをススキノのラーメン横丁で食べた時、アレっ? インスタントとこんなに違うものかと感動したそうです。いずれにしても、ラーメンは寒空の下で、手早くカッコム種類の食べ物で、ラーメン屋さんも屋台に毛が生えた程度の5、6席のスツールがカウンターの前に並んでいるだけものでしたから、回転が良くなければショーバイになりません。
二昔前のことになりますが、日本大好人間のスペイン人カップル、ぺぺとカルメンが合気道の修業のために東京に滞在していた時、ちょっとした割烹、回転寿司、立ち食いソバ、吉野家の牛丼、コンビニ弁当、そしてラーメン屋さんに連れて行ったところ、西欧人の常として、私もそうなんですが、彼らも“猫舌”で、彼らが食べ終わるまで、両隣のお客さん、三人は入れ替わったでしょうか、なんせ何事も悠然と楽しむ、昼食などはワインとともに2時間はかけてゆったりと摂るお国柄から来たお二人にとって、熱々の麺を辺り憚らず大きな音で、空気とともにズズッと麺を吸い上げるように飲み込むのは、ミッションインポシブルのようでした。
そんなこともあり、圧倒的に“猫舌”が多い西洋でラーメンがブームなるはずがないと思い込んでいましたが、あにはからんや、舌を焼いても美味しいものを啜りたい食いしん坊がたくさんいることにたまげ返ってしまいました。
アメリカで流行り出したのは一種のグルメラーメンで、先駆けは韓国系アメリカ人のシェフ、デイヴィッド・チャングというすでに名の通っていた人が『モモフク・ヌードル・バー(Momofuku Noodle Bar)』を2004年をマンハッタンに開店してからのことです。
日本では昔“シナソバ”として中華料理屋さんでメニューの片隅に出されていたのを、日本的に改良、改善しラーメンとしてそれだけを出すようになったのは1910年に開店した『ライライ軒』だと言われています。それが今では東京に1万軒ものラーメン屋さんがあるというのです。
何事にも凝り性で、マニア、食通の世界に持っていってしまう日本人は、やはりかなり変わった人種ではないかと思わずにはいられません。先鞭をつけたのは伊丹十三監督の映画『タンポポ』(1985年公開)でしょう。あの映画は食通モノの傑作だと思います。
食品そのものに加え、店構え、内装、サービスなどなど、極めて基準のハードルが高いと言われているミシュランの星を獲得したラーメン屋が現れたのです。2016年に燦然と輝くミシュランの星を勝ち取った『Japanese Soba Noodles 蔦(つた)』(2012年開店)です。さてお値段ですが、2,000円からトリュフォ入りスープの4,000円と、サラリーマンが毎日掻っ込むことができそうもない価格です。
現在、4軒のラーメン屋さんがミシュランの星を獲得していますが、2021年に新しく星をもらった『中華そば 銀座八五』はスープの素材にカモ、イタヤ貝、椎茸、昆布、ネギは京都産、そしてペッパーキャビアを浮かせるというまるで“おフランス料理”のようなのです。
うちのダンナさんの旧友で相当な食通、ラーメン通で、東京の美味しい店を何軒も知っている結構なグルメがいますが、彼、「そんな店もあっても良いけど、ラーメンは気取らずに、カウンターに偶然居あわせた見知らぬ客と肘すり合わせ、フーフー、ズルズルと鼻汗を吸い上げながら食うモンじゃないかな~、それでこそ味わい、あゝ食ったという満足感が湧いてくる種類の庶民の食べ物だと思うけどなぁ、、、安くて美味いのがラーメンの真情だと思うよ」と穿ったことを言っています。まるでミシュランの星獲得に気を衒(てら)ったゲージュツ的ラーメンは邪道だと言わんばかりです。
第842回:“終わった人”?
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