第490回:流行り歌に寄せて No.285 「恋する季節」~昭和47年(1972年)3月25日リリース
西城秀樹のデビュー曲である。今、そのレコード・ジャケットを見ても、やはりこの人は最初からカッコよかったと思う。
デビュー当時は、業界で「広島の沢田研二」と呼ばれていたらしい。キャッチ・フレーズは「ワイルドな17歳」。新御三家、全員が昭和30年度生まれで、私と同級生ということになる。
少しハスキーで伸びる声質、抜群なスタイルでの派手なアクションで、女性ファンを完全に魅了していた。私の周りでは、新御三家の中で最もファンが多かったと思う。
交際を申し込んでも「今、ヒデキに夢中だから」と、にべもなく断られたケースをいくつか知っている。確かに、我々普通の高校生たちと比較されても堪りません。
西城秀樹は、ジャズ・ギターが趣味だった父親の影響で、幼少期から洋楽に親しみ、エレキ・ギター、ベース、ドラムスを習得した。そして、わずか小学4年生の時に、兄とともにバンド「ベガーズ」を結成、すでに小学生ドラマーとして活躍している。
このあたりは、前回ご紹介した野口五郎と同じく、実に早熟である。その後、中学に入っても演奏を続け、ザ・ベンチャーズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、シカゴなどの影響を受けながら、ロックの世界にのめり込んでいく。
そして、兄たちが中学を卒業した後「ベガーズ」からメンバーを入れ替え「ジプシー」という名のバンドを結成した。当初、このバンドでもドラムを叩き、ロックのドラマーとしての成功を目指してていたが、高校1年生の時、尾崎紀世彦の『また逢う日まで』を聴き、歌謡曲のイメージがガラッと変わってしまう。
歌の魅力を知ってしまった彼は「ジプシー」でボーカリストに転向した。このバンドで、ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストの第1回、第2回に出場し。中国大会で優勝する。それを機に地元のR&B喫茶「パンチ」のレギュラー・バンドとなり、そこで歌っていた時に、東京から来ていたマネージャーにスカウトされた。
昭和46年(1971年)10月3日、父親の猛反対を押し切って、夜行列車で上京し、マネージャーと二人で三畳もない納戸のような部屋で同居を始める。前回の野口五郎よりも、さらに厳しい住環境だったようだ。
明大中野高校の定時制に通いながら、芸能事務所「芸映」に所属して、毎日厳しいレッスンを受けていたが、12月、RCAのディレクター、ロビー和田に認められ、デビューが決定した。上京後の下積み期間という点では、野口五郎よりもかなり短いことになる。
翌年の3月25日、西城秀樹はRCAレーベルからシングル『恋する季節』で、レコード・デビューを果たした。
「恋する季節」 麻生たかし:作詞 筒美京平:作曲 高田弘:編曲 西城秀樹:歌
君と君とふたり 瞳を伏せながら
強く強く 熱い心を 感じる
恋する季節には まだ早すぎるけど
今のうちに確かめたいさ 何かを
雨の日の 日曜は 我慢できなくて
つぼみならやわらかく 抱きしめよう
恋する季節には まだ早すぎるけど
決めているさ 愛する人は 君だけ
青い青い霧に ふたりは濡れながら
肩と肩を そっと触れ合い 見つめる
恋する季節には まだ早すぎるけど
明日までは待てはしないさ 何かを
夢でいい この胸に 君を抱き寄せて
くちびるを奪いたい ぼくなのさ
恋する季節には まだ早すぎるけど
決めているさ 愛する人は 君だけ
作詞の麻生たかしは、その後、たかたかしとペンネームを変え、西城秀樹の歌の詞(『恋の約束』『チャンスは一度』『青春に賭けよう』『情熱の嵐』『愛の十字架』など)を多く手掛け、その他、実に多くの名曲の詞を書いている。
代表的な作品だけでも、五木ひろし『おまえとふたり』、川中美幸『ふたり酒』、坂本冬美『あばれ太鼓』、松崎しげる『愛のメモリー』、美空ひばり『おまえに惚れた』、都はるみ『浪花恋しぐれ』など、とてもあげきれない。ただ、西城秀樹と松崎しげるのほかは、ほぼ演歌であることは興味深い。
今回の『恋する季節』の、「雨の日の日曜は我慢できなくて」のサビの部分などは、GSサウンドを彷彿させるのだが、調べてみて面白いことが分かった。
この曲は、最初は元カーナビーツのアイ高野に提供されるものだったのだが、彼が断って来たために、西城に提供されたもののようだ。
作曲の筒美京平、編曲の高田弘は、前回の野口五郎の『青いリンゴ』と同一である。さすがの人たちと言える。
ただ、『恋する季節』が当初は別の人に提供されたものであり、その後、西城には、筒美京平が昭和54年(1979年)に『勇気があれば』(山川啓介:作詞 萩田光雄:編曲)、翌年に『美しき友情』(山川啓介:作詞 水谷公生:編曲)の2曲を提供したのみであり、高田弘は提供がない〈アルバムについては調べていないが…〉。
だから、この二人は、その後はあまり縁のある作家たちではなかったかもわからない。
西城秀樹が亡くなってから6年半、そして御三家の西郷輝彦が亡くなってから2年9ヵ月。御三家、新御三家とも、その中で最もエネルギッシュに歌唱していた二人が、すでにこの世の人ではなくなった。あのシャウトが、バラードが、リアルに聴けなくなったのは、限りなく寂しい。
第491回:流行り歌に寄せて No.286 「喝采」~昭和47年(1972年)9月10日リリース
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