第491回:流行り歌に寄せて No.286 「喝 采」~昭和47年(1972年)9月10日リリース
私が高校2年生の9月。夏休みが終わり、そろそろ大学受験を視野に入れながら(のんびりした地方の高校なので、スタートが遅い)高校生活の後半に入ろうとした頃だった。
何だか、今までに聴いたことのないような曲が流行っているらしい、K君も聴いてみないかということで、音楽好きの同級生に教えてもらった記憶がある。
マンドリンのトレモロと思われる、印象的なイントロから始まるこの曲には、本当に強いインパクトがあった。(後年、マンドリンではなくエレキ・ギターによるものとわかる)
そして、何より「黒いふちどり」という歌詞が心に残った。
今回調べたところ、作詞の吉田旺が書いた「黒いふちどり」という言葉に、当時のレコード会社も作曲の中村泰士からも歌詞を変えるよう提案があったようだ。しかし、吉田は「ここが核だから」と主張して一歩も引かなかったという。吉田の姿勢は、やはり正しかったのだろう。
中村泰士は、服部良一の『蘇州夜曲』、讃美歌の『アメイジング・グレース』を基調にしてこの曲を作ったと語っている。そして、ファの音とシの音を使わない、いわゆる「ヨナ抜き音階」という手法を用いた。これは、それ以前演歌ではよく使われていたが、ポップス系で使われておらず、画期的な出来事だったという。
レコーディングは、周りを黒いカーテンで覆い、ちあきなおみは裸足になって臨んだそうだ。
発売当初、これはちあきなおみの実体験を元にできた歌だという噂が広がったが、実際は、完全に吉田旺の創作によるものだった。吉田の出身地、北九州の小倉駅が舞台で、彼が東京に出て来たイメージを元にして作られた。
それが偶然、ちあきが慕っていた人が亡くなった思い出と重なったため、彼女自身、このレコーディングを当初は躊躇(ためら)っていたそうである。
いろいろな想いが交錯する中で発表されたこの曲は。9月10日のリリースというレコード大賞レースには大変遅い時期のスタートだったが、見事にこの年の大晦日に「第14回日本レコード大賞」を受賞する。
そして、レコード大賞の会場、丸の内の帝国劇場から、有楽町の東京宝塚劇場に移動し「第23回NHK紅白歌合戦」で『喝采』は披露された。
「喝 采」 吉田旺:作詞 中村泰士:作曲 高田弘:編曲 ちあきなおみ:歌
いつものように幕が開き
恋の歌うたうわたしに
届いた報らせは
黒いふちどりがありました
あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
動く始めた汽車に ひとり飛び乗った
ひなびた町の昼下がり
教会のまえにたたずみ
喪服のわたしは
祈る言葉さえ 失くしてた
つたがからまる白い壁
細いかげ長く落として
ひとりのわたしは
こぼす涙さえ忘れてた
暗い待合室 話すひともないわたしの
耳にわたしの歌が 通りすぎてゆく
いつものように幕が開く
降りそそぐライトのその中
それでもわたしは
今日も恋の歌 うたってる
時代はだいぶ下るが、私が重症心身障害児(者)の親の会で社会福祉の業務に携わっていた24歳の頃、その団体に一人の男性が入職してこられた。彼は、当時57歳で、日本で一番大きな商社を早期退職し、社会福祉の仕事に就きたいという思いで入ってこられた方だった。
なぜだか、この方とウマが合い、よく飲みに連れて行っていただいた。さすがに優秀な商社マンであったために、仕事には厳しく、ずいぶんと指導を受けたが、アフター5では、本当に優しいおじさんとして付き合ってくださった。
この方は、あまり歌が好きな人ではなかったが、唯一『喝采』だけを持ち歌にして、酔いが回ってくると「いつものように幕が開き…」と口ずさむのであった。
そして、65歳という若さで亡くなったが、ご葬儀の時、以前愛煙家だった彼のためにと元の職場の仲間が、棺にハイライトを入れようとした時、奥様が「どうぞ、やめてください。この人はもう煙草をやめていましたから」と割と強い調子で断った。
その様子を見ていて、私の頭の中でふいに、ちあきなおみの『喝采』が流れたのである。
なぜなのか分からないが、急に流れた。もう36年も前の話だが、この曲を聴くとあの情景を、今でも不思議と思い出す。
第492回:流行り歌に寄せて No.287「バス・ストップ」~昭和47年(1972年)9月1日リリース
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