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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第92回:“サンタ・アグネス・デ・コローナ”からきた少年

更新日2019/11/07

 

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San Antonio港、ここから美しいビーチにボートが出ている

ジュゼッペは筋肉質、長身のイビセンコで、サン・アントニオ(San Antonio;イビサ島第二の都市)のバー『ジョー・スプーンズ(Joe Spoons)』で働いている。このバーはアイルランド人のジョーが2本のスプーンを片手の指の間に挟み、カチカチとリズム楽器のように使い、太く張りのある声で歌い、それに和するようにパイント・ジョッキを手にしたお客さんたちが歌う、イビサ的アイリッシュ・パブだ。

サン・アントニオには、イビサにあるような港に沿って長く伸びている旧市街や、城壁に囲まれた中世さながらの居住地はない。小さな湾はそれ自体美しい…というか、かつてはひなびた美しさを持っていたと思う。そんな美しい湾を瞼に浮かべるのは、今、林立しているピソ(マンション)、アパート、安ホテルを無視し、消し去る想像力を持たなければならない。

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アイリッシュ・パブ“Joe Spoons”

『ジョー・スプーンズ』は港前の通りから2、3本奥に入った、全く情緒のないピソ街にある。ところが、そこが夏の3、4ヵ月間は通り抜けができないほどびっしりと人で埋まるのだ。すべて、“ジョー”のおかげだ。

その震源地たる『ジョー・スプーンズ』はピソの1階にある味も素っ気もない、スペインのどこにでもありそうな何の変哲もないバルなのだが、そのバルのオヤジが客としてやって来たジョーに歌わせたところ、マイクなど必要ないほどの大声で朗々と歌うのを聞き、「お前、イビサ滞在中のホテル、食事はこっちで持つから、俺のバルで毎晩歌わないか…」と持ちかけたのがコトノハジメだった。その時、ジョーは本国アイルランドのパブで歌っていたからマンザラ、ド素人というわけではなかった。

サン・アントニオにこの店あり、とばかり『ジョー・スプーンズ』がイビサの一大名所になるのに時間はかからなかった。客はもちろんアイルランド人だけでなく、イギリスやスコットランド人で、オランダ、北欧、ドイツ人も多かった。もちろん、入場料など取らず、もっとも通りに張り出した、テーブルの上でジョーが唄うのだからそんなものは取りようもないが、ビールやワイン、ウィスキーも周囲のさえないバルと同じ値段で、ともかく安く、楽しく飲んで貰おう…、後は量でサバケという方針だった。

初めから、陽気に酔っ払うためにスペインにやって来るバカンス客にピッタリのバーなのだった。じきに、ジョーは売り上げだか儲けの何パーセントかを歩合で受け取るようになり、毎年、夏場の数ヵ月をサン・アントニオで稼ぐようになった。

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Corona村からSan Antonioまでは4、5キロの距離しかない

ジュゼッペがサンタ・アグネス・デ・コローナ(Santa Agnes de Corona)の村から4、5キロと離れていない都会?のサン・アントニオに初めて出てきたのは10歳くらいだった。今でもサンタ・アグネス・デ・コローナの村とサン・アントニオの間に定期バスは走っていない。細くうねった山道を叔父に連れられ、歩いてサン・アントニオに出たのだった。ピパ(pipa;ヒマワリの種)を齧り、皮袋に入れたヴィノ(vino;ワイン)で口を湿らせ歩いた…と言うのだから、まるでスペイン中世のピカレスク小説(Novela picaresca;悪漢小説)そのものの風景だ。

だが、ジュゼッペが初めて村を出てサン・アントニオに行ったのは1960年の終わりのことなのだ。すでにイビサ、フォルメンテーラは、ヨーロッパ人の間で隠れたヴァカンスの島として知れ渡っていた時なのだ。しかし、彼の村、サンタ・アグネス・デ・コローナのような、イビサにたくさんある山村はなんの影響も受けずに中世さながらの生活を続けていたようなのだ。

ジュゼッペがサン・アントニオに着き、何に驚いたかと言うと、なんと自動車だった。大きな音を発しながら、信じられないスピード(と彼はロバの歩速と比較しているのだ)で突っ込んでくる自動車が恐ろしくて、泣き出したと言うのだ。それが、ジュゼッペが自動車というものを見た最初だった。

私がヨーロッパをヒッチハイクで旅していた時、拾ってくれた運転手に連れられるまま、予定してた目的地を遠く離れた文字通りのド田舎に行ったことが何度かある。フィンランドの森林伐採のための村、ポーランドとチェコ国境近くの村、オーストリアの山村、地方性が豊かといえば聞えはいいが、自分たちの生活を全く変えないガンコさには舌を巻く思いがした。

そして、この小さな島、観光に侵されつつあるイビサでさえ、ほんの数キロしか離れていない隣村のことをまるで知らないし、知ろうともしないのだ。ジュゼッペの村、サンタ・アグネス・デ・コローナの大半は5、6キロ離れたサン・ジュゼブ・ダ・サ・タラヤ村(カタラン名Sant Josep de sa Talaia;スペイン名San José Obrero)には行ったことがないと思う。  

司馬遼太郎が子供の時、大阪から山ひとつ越えた奈良県の山村で、海を見たことがない村の子供たちに、海は村にある用水池の何百、何千?倍も大きく、向こうが見えないと言ったところ、すっかり、ほら吹き、嘘つきにされた思い出を書いている。その当時、すでに私鉄が走っていて、大阪へ45分ほどで行けた所ですら、海を知らない、というか自分の村から出たことがないのが当たり前だったのだ。

良い働き口があればどこにでも流れていくアンダルシア人やヒターノ(gitano;ジプシー)だけが、この国、スペインで広い見聞?を持っているのではないか、とさえ思う。

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SEAT Panda

若者は変わる。ジュゼッペも『ジョー・スプーンズ』で働き始め、アレヨと言う間に変身した。自動車を見て泣いた少年が、当時イタリアのフィアット(FIAT)がスペインでセアット(SEAT)の名で作り始めた、四角い軽自動車のようなパンダ(SEAT PANDA)を買い、乗り回すようになったのだ。そしてあのような仕事をする役得というのか、毎シーズン、幾人もの女性をモノにするモテモテ男になったのだ。

『カサ・デ・バンブー』の海岸に車を乗りつけ、時々、2週間の限定期限付き恋人を連れてくるのだった。一人で来た時、「イヤー、あいつら(ヴァカンスに来ている女性たちのこと)はビール一杯奢ったら、お返しにセックスをしなきゃならないと信じているプータ(puta;売春婦)だぞ。もし彼女らがヴァカンスをイビサで過ごしたことがあると言うなら、オラー、結婚相手として頭からそいつを除外するね…」と、どうにも人は自分が体験したことがすべての基準になるように運命づけられた生き物のようなのだ。「結婚相手? ウーム、そりゃ~、自分の村の娘に落ちつくんじゃないかな…」とノタマウのだった。

後年、ジュゼッペは本当に村の娘マリカルメンと結婚した。私は島を出ていて結婚式に行けなかったが、新婚の家庭を訪れ、式の写真を見せてもらった。伝統的なイビセンコの正装に身を固め、カトリックの教義に則った大きな結婚式だった。

結婚祝いの贈り物の中に、悪友たちが贈った小さなギロチンがあった。それは絶倫、種馬と呼ばれたジュゼッペのペニスをちょん切るギロチンだった。


 

第93回:出版社の御曹司、へニングのこと

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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