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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第93回:出版社の御曹司、へニングのこと

更新日2019/11/14

 

『カサ・デ・バンブー』を通して、普通なら知り合うチャンスが全くない、異種の人間とたくさん知り合いになった。こんな小さなカフェテリアをやっているというだけで、特別待遇を受けていたようなものだ。

ヘニングは、ドイツ人にしては小柄な、あごの尖った小さな顔、頭髪がないのでは…と思わせるほど薄い金髪で、決してモテモテのマッチョタイプではない。だが、『カサ・デ・バンブー』にはいつもグラビア雑誌から抜け出てきたような女性を連れてきた。ファッションモデルのような女性の横にいるヘニングが貧相に見えるほどだった。当時のイビサでは目立ちすぎるほどの真っ白いベンツのオープンカーの助手席には、いつも絵になるグラマーな女性を乗せていた。

ヘニングはとても静かな声できれいな英語を話した。連れてくる女性たちとドイツ語(自国語だが)、フランス語も流暢に話していたから、若い時、子供の時から外国語を学んでいた、しかもどこか一流の全寮制の学校にでも入れられていたのでは…と思わせるものがあった。

ヘニングが何者であるかを教えてくれたのは、『カサ・デ・バンブー』における情報・ゴシップセンターのギュンターだった。何でもヘニングはドイツでも名の通った出版社の御曹司で、売れ筋の大衆誌も出しているところだと言うのだ。ギュンター情報によれば、ヘニングはドイツで長者番付の何番目かに入るのではないか…とのことだった。もっとも、ギュンターは物事を大げさにドラマチックに言う傾向があるが…。

そうかと言って、私はテキヤも大金持ちも一旦店に来た以上は、同じ客だという方針だったから、ヘニングを特別扱いせず、他の客と同じようにアシラッテいた。ヘニングは大声で冗談を飛ばすわけでもなく、ネチッコク連れの女性に迫るわけでもなく、むしろ恥かしがり屋のように、低い声で会話し、静かに海を眺めているだけだった。

何度か、彼がいつも連れてくるフラッシーな(ケバイ)女性たちとは全く違うタイプのガールフレンドを同伴してきた。それがコニーだった。コニーはヘニングと同じくらいの年回りで、40歳前後ではなかったかと思える。彼女は全く飾らないタイプだったが、とても魅力的というのか、彼女の内側から大人の美しさが溢れ出ている自然体の落ち着いた人だった。

ヘニングも彼女といると、いつもの静かな話し方こそ変わらないが、会話を楽しみ、口数も多くなるようだった。私は、ただこんな美しく成熟した女性が存在するのかと、感嘆し見惚れていた。

コニーがいる時、私も会話に加わることが多くなった。問わず語りで、彼らが日本旅行から帰ってきたばかりのことを知った。日本では丁度、お花見の季節で、桜の木の下にゴザを広げ宴会をやっているグループが、彼らを巻き込み、大い飲み食いさせてもらったことなど、二人で懐かしそうに話してくれた。でも、あのストローマット(ゴザのこと)に座るのは参った…と思い出に浸っていた。

ヘニングとコニーは、それこそ世界中を旅行していた。ポリネシアの島々、アフリカでの猛獣サファリ(写真を撮るだけの)、南米、中近東と彼ら二人が行っていない国、地域は存在しないのでは…と思わせるほどだった。

コニーはヘニングの会社で編集者、編集長のような仕事をしているらしかった。二人はもう相当長いこと恋人、愛人のような関係を続けていることが伺えた。自分の会社にほとんど顔を出さないヘニングが珍しく、会社のビルに入ろうとしたら、守衛に、「お前は誰だ…?」と、入社を拒否された笑い話を披露してくれた。「あの時、私と一緒でなければ、30分は守衛室で待たされたと思うよ…」と、コニーは笑っていた。

コニーがドイツに帰ると、またヘニングは顔、身体は素晴らしいが、その分頭脳が足りない女性たちを連れ歩くようになった。

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60フィートのハイスピードパワーボート(参考:本文とは無関係)

私が海好きだと知ってか、ヘニングは、「明日、俺の小船を出すから来ないか?」と誘ってくれた。それまで、彼が船を持っていることさえ知らなかったのだが、考えてみるまでもなく、彼ほどの大金持ちなら、豪壮な邸宅、豪華ヨットを持っているは当然のことだった。

ヘニングの言う“小船”は優に60フィートを超す、ハイスピード・パワーボートだった。マリーナをウロツクのが好きだった私は、冬の散歩コースにマリーナを入れていたし、人気のないマリーナのカフェでいつか自分もここに自分のヨットを係留する日があるのだろうかと夢見てカフェ・コン・レチェ(ミルクコーヒー)をすすっていたものだった。その時、このマリーナでもひと際目立つパワーボートがヘニングのものだったのだ。

ボートに着いて、さらに驚いたことに、素っ裸の女性が4、5人乗っていたことだ。正確に言えば50代になろうかというブラジル女性だけは、薄い透け透けドレスを着ていた。彼女は賄い、軽食やスナックを下のギャリーで作る役だった。彼女の娘が当座のヘニングの恋人で、張り出た尻と胸、引き締まったウエスト、オリーブ色の艶のある肌と、どこからどう撮っても写真になる娘だった。

ヘニングは私のために、そのブラジル娘に友達を連れてくるよう頼んだことのようだった。他の娘たちもイビサにあってすらストライキングな肢体の持ち主ばかりで、しかも裸だったから、私は白鳥の群れに紛れ込んだカラスのような気分になったことだ。彼女たちはディスコテカ(広大なディスコクラブ)のアニマドール(animador;カウンターや一段高い小さなステージで踊る女性;チアリーダー)だった。

ヘニングはタンガ(tanga)と呼ばれている小さな三角形の金隠し布切れを前に当てている勇壮だった。私はと言えば、上半身は裸、下はズボンこそ脱いだが、さえない下着のパンツ姿だった。水泳パンツを持ってこなかったのだ。

車のハンドルを握った途端に性格が変わる人がいるが、ヘニングは一旦マリーナから船を出すなり、フルスロットル(エンジン全開)で海面を叩くように飛ばし始めたのだ。マフラーを外してあるのか、元々そのようなエンジンなのか、スサマジイ爆音を発し、それに負けじとばかりフルボリュームで流行のディスコ・ミュージックを流したのだった。

ヘニングは私にチョット舵をとってくれと、操舵席を降り、私に舵を任せたのだ。私はディンギークラス、しかも極小の帆掛け舟かエンジン付きではせいぜい10馬力のゴムボートの経験しかなった。原付き自転車かスパーカブからいきなりフェラーリ、F1のハンドルを握らされたようなものだ。

しかし、スピード感覚というはすぐに慣れるというのか麻痺するものだと知った。5分もすると、自分がこんなボートを操っているのが当たり前のことのように感じるようになったのだ。他のヨット、ボートをグングン追い抜き、目的地であるエスパルマドール島に近づくのに30-40分と掛からなかった。

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エスパルマドール島(クリックでその海岸)

二つのレバーを引き戻し、スピードをガクンと落としたところで、ヘニングがもう着いたのかという表情で操舵席に上ってきて、彼に舵を譲ったのだった。

フォルメンテーラ島とエスパルマドール島を結ぶ長い砂州にアンカーを入れ、泳ぎ、超豪華なカナッペ、スナックにシャンペンを満喫したことだ。

アニマドーラの娘たちと何もなかったのか? 私はテレ隠しに、ブラジル女性、ただし母親の方、賄いのオバサンと料理の話などしていたのだった。唐変木、ここに極めりだ!

マリーナに帰ってから、ヘニングが、「いつでも、俺の船を使ってくれ…」と、鍵を手渡そうとしたのには心底驚いてしまった。当然、私はトンデモナイとばかりにご辞退申し上げたが、時々モヤイロープをチェックし、ビルジポンプを回し、必要ならオイルを回すために15~30分エンジンを掛けることぐらいはできると伝えたのだった。

ヘニングがどうしてこんなにまで私に信頼を寄せ、ほとんど友達になりたがっているような態度を見せたのか、不思議な気がする。大金持ち、プレイボーイと、どうにか潰れないでやっているカフェテリアの貧乏店主、バックパッカー崩れとでは余りに違いすぎる。後で気が付いたのだが、ヘニングが男の友達と連れ立って『カサ・デ・バンブー』に来たことはないし、車の助手席に男が座ったことがないのではないかと思う。

万が一、ヘニングと言いたいことを遠慮なく言い合える友達になったら、私は、「お前な~、コニーのような素晴らしい人がいるのに、何を馬鹿なことやってるんだ!」とでも即座に言ったことだろう。イヤ、ヘニングの方こそ、そんなことを言いかねない私を見越して、近づいてきたのかもしれない。

コニーがいるから、ヘニングは安心し切って遊びまくっていられるのだろうか。
ヘニングとの出会いも、イビサならではのことだったろう。


 

第94回:イビサ、ディスコ事情<1970-80年台>

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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