第42回:ザッパクリークの虐殺 その4
作家のマリ・サンドス(Mari Sandoz)がウイリアム・ストリートに接し、彼女の思い入れをタップリ入れて書き上げたのが『シャイアン族の秋』(Cheyenne Autumn)だ。マリ・サンドスは主に中西部のパイオニア、インディアンをテーマにしたドキュメンタリー、小説を20冊も出版している作家だ。西部開拓時代に興味のある者に着実な人気があった。第一読みやすいし、劇的な表現が多く、話の展開がドラマチックなのだ。
例えば、「焼け焦げた死体が発する煙と臭気がザッパクリークを覆った。猟師たち(騎兵隊員、バッファローハンターはインディアン殺しのハンターとみなしている)は倒れている女性、子供を棍棒で殴り、火の中に投げ入れた」とあるが、もちろん彼女自身は現場に居合わせたわけでない。
だが、往々にしてこのような表現を多用した言論、記事、書籍の方が具体的に正確であろうとした記録より広がりやすく、世間に歓迎される。
マリ・サンドス(1938年頃の写真)
彼女はクレイジー・ホースの伝記など、インディアン側から見た、見ようとした著作が多い。
それが丁度ベトナム戦争反対運動、インディアンや少数民族の立場を強く擁護する運動時期と重なった。
マリ・サンドスの『シャイアン族の秋』はこの手の本としてはベストセラーになった。ヘンリイ中尉は殺人狂、性格異常者、第6騎兵隊は血に飢えた狼のように殺戮を享受したとの見方が広がった。サンドクリーク虐殺の時、上官であるシヴィングトンに公然と対抗するサイラス・ソウル大尉のような人物がこのザッパクリークの虐殺事件にはいなかった。したがって、公聴会も裁判もなく、インディアン側の伝承とヘンリイ中尉の報告書、それに二人の兵士の証言があるだけだ。あとは事件後現場を訪れたウイリアム・ストリートのレポートとそれを元にした多くの憶測、推理があるだけだった。
具体的にヘンリイ中尉を弾劾できる事実は、プラッツ軍曹が言うように、ヘンリイ中尉が「女、子供も皆殺しにしろ!」と命令したか、しなかったかは、水かけ論に終わる。
しかし、40名の騎兵隊員のうち戦死者は2名で、シャイアン族の戦士50名、ほか女子供を多数殺し、酋長のリトル・ブルも殺したという戦績は残る。これは西部アメリカ開拓史上に残る鮮やかな勝利で、軍部はこの戦い?を高く評価した。
シャイアン族の捕虜がゼロだったのは、無差別の殺戮が行われたであろうことを物語っているのだが、無視された。衛生兵は負傷者をチェックさえしていない。負傷し、戦闘不能に陥ったシャイアン族を生きながらティピーテント小屋に投げ入れ焼いたとみるのが自然だろう。ウイリアム・ストリートが事件後現場を検証した時、そのような焼死体を数多く見ている。
第6騎兵隊に同行し、ザッパクリークの戦闘に参加したバッファローハンターたちが多数いたことは知られている。しかし、それが一体何名いたのかに言及した報告はない。騎乗したままの射撃に慣れているバッファローハンターたちの活躍?は、騎兵隊員たちの射撃技術をはるかに上回っていたことだろう。
1963年にダン・トラップが『フロンティア・タイムズ』に寄せた記事は、はっきりとヘンリイ中尉を弾劾している。ザッパクリークの虐殺は全く一方的な攻撃で、リトル・ベアが率いるシャイアン族に何の罪もない、また事件発生後、それを知りながらヘイズ砦の幹部たちは一旦勲章まで授けたヘンリイ中尉ほか7名の名誉と軍部騎兵隊の士気、モラルを保つため隠匿したと書いた。
だが、事件後88年も経ってのことだから、歴史をどう評価するかの問題になってしまっていた…と思う。本当に何が起こったのか糾明するのは不可能になっており、すべては状況証拠の積み重ねになる。しかしながら、状況証拠は明らかに悲惨な虐殺があったことを物語っている。
第6騎兵隊がザッパクリークにいた時間は3時間に満たなかった。それぞれ戦勝記念品をサドルに結び付け、フォート・ワーレスに向かった。ザッパクリークからフォート・ワーレスまでは直線距離にして70マイルくらいの距離だ。加えて、途中に川や谷もなく、緩やかにうねる平原だから、普通なら1日の行程だ。ところが、この年1875年4月24日に季節外れの猛吹雪、豪雪が襲った。
この辺りは遮るものが何もないので地吹雪が起こる。私自身、今そこを東西に走っている幹線ハイウェーI−70を20-30回は往復したことがある。ロッキーの山越えよりコロラドの東スロープ、カンサスの平原で雪のため立ち往生したり、アイスストームで凍りついた路面に足を取られ、高速道路を大きく飛び出したことがある。
この界隈は天候が急変しやすい。ヘンリイ中尉一行は春先の猛吹雪に遭遇したのだ。馬の腹を擦るほどの積雪だったというから、1メートルは積もっていたのだろう。その場で騎兵隊員は馬に体を寄せ、体温の低下を防ぎ、一夜を越したのだった。
春の嵐の特徴だが、陽が上がると襲った時と同じように急激に気温が上がり、雪は溶け始め、騎兵隊員は生気を取り戻したようだ。ヘンリイ中尉と第6騎兵隊はホウホウの態でフォート・ワーレスに辿り着いている。
戦勝記念品として、モカシン(インディアンの靴)織物毛布、トマホーク(棒の先に石斧がついた戦闘用の武器)、それにボンネットと呼ばれている羽飾りのついたカンムリがあり、ヘンリイ中尉は角が2本付いた羽根のカンムリ、シャイアン族が宗教儀式の時、メディスンマンが被る神聖なワー・ボンネットを持ち帰った。騎兵隊が強姦したシャイアン族女性の性器、それに剥いだ頭の皮などはなかった。
シャイアン族の老嬢が、神聖なる帽子を弄ぶ者、ヘンリイ中尉は1年と生き永らえないだろうと言った記録が残っている。
ヘンリイ中尉と第6騎兵隊は、アリゾナ領域に配置換えになった。
シャイアン族の老嬢が呪いを込めて予言したように、ヘンリイ中尉は1878年、アリゾナ領域の川で溺れ死んだ。勲章を授与され、西部史に輝く大勝利とされた割には、ヘンリイは中尉のままで、期待して当然の昇進はなかった。彼の上官たち、フォート・ヘイズ、フォート・レーベンワースの将軍たちは、ザッパクリークで実際に何が起こったかを掴んでいたと思われる。だから、一旦授与した勲章こそそのままだったが、ヘンリイ中尉を昇進させなかったと見るのが自然だろう。
もうこれでインディアン戦争は終わりを告げたと誰しもが思っていたところ、最後の最後に“ウンデッドニーの大虐殺”が起こった。
-…つづく
第43回:ウンデッドニーの虐殺 その1
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