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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第94回:イビサのディスコ事情 《1970-80年台》

更新日2019/11/21

 

イビサがアメリカ西部の金鉱ブームに沸いたブームタウンならぬ、“ブーム島”に変わっていく時期に私は丁度棲み合わせたと思う。

私が棲み始めた当初、まだ昔ながらのヒナビタ様相が旧市街に残されていたし、港には地元の住民相手の定食屋や桟橋の前には船が着く時だけ賑わうカフェバルがボカディージョ(bocadillo;スペイン的な硬いパンにチョリソや生ハムなどを挟んだ定番サンドウィッチ)をこれから船旅する人のために売っていた。そのトランス・メディトラニアンの大型フェリーが出てしまうと、文字通り火が消えたような静けさに戻るのだった。

その頃すでに2週間、1ヵ月のパッケージ・バケーション・ツアーが売り出されてはいたが、まだ自分の別荘を持っているドイツ人、北欧人、イギリス人などがイビサ先住民族として幅を利かせ、パッケージ族を見下していた。

バカンスはコスタ・デル・ソル(スペイン南部の太陽の海岸)のトレモリーノス、マルベージャ、マラガが火付け役になり、次第にアリカンテ、ヴァレンシアの海岸線が後を追い、中古の飛行機で激安のチャーター便が飛ばせるようになり、マジョルカ島、カナリア諸島が脚光を浴び出していた。 

フランコ将軍時代のスペインは、ともかくすべて安かった。ポンド、マルク、ドルなどの外貨を持つ者には信じられないほど換金率が良く、英国マンチェスターの一介の工場労働者が一挙にペセタ(peseta;当時のスペイン通貨)の大金を掴んだ成金になれたのだ。

それに物価だ。特にワイン、ビールなど酒類はお話ならないほどの馬鹿安値だった。コモを被せた酒ビンをぶら下げ、ボデガ(bodega;酒屋、酒蔵)で量り売りのヴァル・デ・ピーニャ・ワインなどは、ミネラルウォーターより安かった。

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老舗ディスコ『Pacha(パチャ)』のダンスフロア

私が初めてイビサに着いた当初、島には大きなディスコテカ(discoteca;ディスコ)が2軒しかなかったと思う。イビサの港を挟んで城砦と対峙する海岸通りに面した『パチャ(Pacha)』とサン・アントニオのホテルの地下にある『エクスタシー(éxtasis)』だけだったと思う。

私は別にディスコファン、マニアというわけではないが、シーズンオープニングの日に招待されるまま顔を出していたし、これも奇妙な同業者意識というのだろうか、イビサでオステレリア(hosteleria;レストラン、バール、ホテルなどの観光業)をやっている者は入場無料、木戸御免のフリーパスで入ることができた。友達などがイビサに来た時、興味本位、一種の夜の探検として、彼ら、彼女らをよく連れって行ったものだ。

老舗の『Pacha』は大きな独立した建物で、周りに何もないところから、大音響を盛大に外に流していた。建物に入ると、そこからいきなり幅の広いネオンサインのトンネルの滑り台になっていて、いきなりダンスフロアに降り立つことになる仕掛けがしてあった。

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郊外型ディスコの先駆け『KU』のガラス張りの大型プールとステージ

イビサとサン・アントニオの丁度中間、どちらの町からも7キロ少々の山間にサン・ラファエルという村がある。そこにサン・ラファエル・スポーツクラブがあった。スポーツクラブであった当時を見ていないのだが、古いカタログを覗くと、大きなプール、4-6面のテニスコート、スクワッシュのコート、ゴルフのパターだけの練習場、そしてレストラン、バーなどがある後楽園球場ほどの広大な野外のコンパウンドの様子が伺える。それをバスク人が買い取り、超大型の野外ディスコに作り変えたのだった。イビサすずめは、「あんな山の中まで誰が行くものか、すぐに潰れるさ…」と言っていたものだった。

ところが、大方の予想に反し、このディスコ『クー(KU)』はヨーロッパ全土にその名が知られ、大成功を収めたのだ。有名人が詰め掛け、それが客寄せになり、『KU』に足を踏み入れるだけが目的の人種が詰め掛けるようになったのだ。ヨーロッパの映画界だけでなく、ハリウッドの誰それ、リッチ・アンド・フェイマスを『KU』で見かけるのは珍しくなかった。

まず、駐車場がヨーロッパの基準としては、とてつもなく大きく、ゲートの前のVIPスポットにこれみよがしにフェラーリ、ランボルギーニ、イビサにはおよそ不似合いな白のロールスロイス(ただしオープンカー)など、数奇者なら涎を垂れ流すような車が並んでいるのだ。

ダンスフロアは数箇所あり、またバーも5、6ヵ所あったと思う。レストランは騒音から離れた木立の中にあった。プールの側面を総ガラス張りにし、そのすぐ脇にプールの深さだけ降りたダンスフロアがあった。従って、素っ裸で泳いでいる人魚を見ながら、踊ることができるのだ。裸でプールに飛び込む男女は当然見られることを意識して、ガラスの側面近くを優雅に潜り、泳ぐのだった。

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『KU』のフィエスタの一コマ(クリックでさらに表示)

『KU』の成功は毎週のようにパーティーやフィエスタ(fiesta;お祭り)をオーガナイズしたことだと思う。それも中途半端なものでなく、キチガイじみたド肝を抜く企画を次々を立案して実行していった。初めの頃は“ホワイト・パーティー”、入場者は全身白づくめの服装でなければならない、“オリエント・パーティー”は中国服、着物、サリー、ともかくオリエントなコスチュームを着なければならない、“フルムーン(満月)パーティー”、これはフルムーンにはお尻丸出しの意味があり、ともかくお尻を出す服装を義務付けたり、よくぞ色々考え出すものだと呆れるくらいだった。

じきに、エスカレートした企画が幅を効かせるようになった。極めつけは“タンガ・ナイト”で、タンガ(tanga)とは前当ての三角形の布切れに腰と股下に回す紐が付いている、キンカクシ?で、そこに『KU』のロゴがプリントされているものをディスコに入る時に手渡され、服を脱いでクロークに預け、『KU』タンガを付けなければならないという、若く、ナイスボディーの持ち主ならともかく、すべてにタルミがきている中年以降にはためらわれるパーティーだった。これが大盛況だったのだ。

そしてもう一つの大きなパーティーが“リオのカーニバル”だった。なんでも飛行機をチャーターして、ブラジルからいくつかのサンバチームを連れてきたそうで、総勢200人くらいは来たのではないか。こんなことをして、一体採算が合うのだろうかと余計な心配をしたくなるほどのものだった。

そのほか、“パンプローナの牛追い祭り”、これはディスコ内に、子豚にダンボール製の牛の角を縛り付け、たっぷり油を塗り、闘牛ならぬ子豚を何頭か放ち、捕まえた者はその豚を賞品として貰えるという馬鹿騒ぎだった。子豚はキイキイ鳴いて逃げ回り、最後には捕まり、丸焼きにされ、客の腹に収まるのだった。

閉店時間は朝日が昇る夜明けで、それまで残っていた客全員にスペインの典型的な朝食、カフェ・コン・レッチェ(café con leche;ミルクコーヒー)、ホットチョコレートと揚げたてのチューロス(Churro;小麦粉ベースの揚げ菓子)、エンサイマダ(ensaimada;バレアレス地方の伝統的な菓子パン)が供されるのだった。

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野外大型ディスコ『Amnesia(アムネシア)』のエントランス

『KU』に続けとばかり、趣向を凝らしたディスコがオープンし始めた。イビサからサン・ラファエルに行く途中にこれも野外の大ディスコ『アムネシア(Amnesia)』がオープンした。こちらは場内に凝った仕掛けはないが、大きなステージがあり、ナマのバンドが売りだった。ちょっと名の通ったミュージシャンを呼んでいた。

ディスコ・ジェネレーションより歳上の層を狙った『チャーリー・マックス(Charlie Max)』というのが、老舗の『Pacha』と同じ海岸通りに誕生した。また2軒のディスコに挟まれるように『カジノ・デ・イビサ(Casino)』がオープンし、大きな屋内サラ・デ・フィエスタ(Sala de fiesta;スペイン的に踊れて、食べれて、ショーを楽しめる会場、フラメンコ調が多いのが特徴)にホテルから集められ、バスに乗った観光客が送られてくるのだった。

ここにもオープニング・パーティーに呼ばれ出かけたが、イビサにこんなに中年、老年の観光客が来ていたのかと驚いたほどの賑わいだった。まさかイビサでフラメンコはないだろうと思うのは、旅行業、観光業を知らぬ者の言うことだと知らされたのだった。

イビサはディスコ文化(そんなものがあるとして)の発祥の地だとまで言う人がいる上、旅行業者も太陽とビーチだけでなく、積極的にディスコを売りに使い始めた。

イビサに来たら、日中は海岸でたっぷり太陽を浴び、夕方はブティック、ヒッピー・マーケットで買い物、一度ホテルに戻り、イビサファッション、アドリブファッションにお色直しをし、身を固め、いざ出陣とばかり、ディスコに繰り出すのが、お墨付きの正しいイビサバカンスの過ごし方になってきたのだった。


 

第95回:イビサのアダムとイブ

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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