第849回:アメリカ帝国の崩壊も日本経済の没落も・・・
アメリカ帝国が滅亡の危機に瀕していると、ベトナム戦争の敗戦以降随分言われ、書かれました。中には細かく経済、軍事を分析し、アメリカが常にナンバー・ワンであった、あろうとした、軍事、経済の一角が崩れ、世界中の国々がアメリカの言うことを聴かなくなり、平気で逆らうようになった事態を一々具体的に考証したりしています。
日本も、“日本経済の没落”がバルブ以降盛んに謳われました。アメリカの滅亡も日本経済の没落も、ローマ帝国の崩壊と比較され、歴史の移り変わり、盛者必滅の節目だとか大袈裟に書いている論評が目立ちました。まるで平家物語の“驕れるものは久しからず”を地で言っているかのように書いているものさえありました。
滑稽なのは、エドワード・ギボン(Edward Gibbon;1737ー1794)の『ローマ帝国衰亡史』で、“ローマ帝国の崩壊”をアメリカ合衆国の衰退に対比していることです。ローマ帝国が崩壊したのは、外敵、ゲルマン民族やヴィシーゴート族(Visigoth;西ゴート族)、ペルシャの侵攻に敗れたからではなく、すでにローマ内部に崩れる要因があり、ローマの都市文化の行き詰まりが始まっていた…と言うのがギボンの趣旨だと思うのですが、アメリカはローマ帝国ほど偉大であったことはないし、ローマ帝国は当時の全世界であった地中海世界を支配しましたが、アメリカが全世界を支配したことも、絶大な軍事力で、植民地にローマ帝国を移植したかのような都市を建設したことも、崇高な文化を持ったこともありません。そんなことを他国の人が認めたこともありません。ローマ帝国と比較できるようなことは一つもありません。
スペイン王国の没落、大英帝国の崩壊は歴史上の事実ですが、イギリスも、スペインも、国は消滅せず、そこに住むイギリス人、スペイン人は現在もそこそこに?幸せに生きているのではないでしょうか。
ましてや、日本の経済的繁栄、そして没落を、ローマ帝国の崩壊を引き合いに出すのはまるで見当違いだと思うのです。なんせ日本は70ー80年前に完全に叩きのめされ、潰されているのですから、すでに崩壊を経験済みなのです。
オスヴァルト・シュペングラー(Oswald Spengler;1880ー1936)の『西洋の没落』が今になって読み返され、西欧文化の行き詰まりをご命題のように唱える文化人がいます。シュペングラーが『西洋の没落』を書いたのは第一次大戦後のことで、100年以上前のことです。その時危機感を持った当時のインテリ、文化人が大勢いたことでしょう。ダンナさんが憧憬しているらしい作家シュテンファン・ツヴァイク(Stefan Zweig;1881ー1942)も、西欧の文化が消滅すると絶望し、自殺しています。
でも、ギリシャ、ローマの文明が、国体こそ変わったものの、文明、文化は生き残っています。
アメリカが地球上の民主主義の模範であったことなどないし、世界の平和を守る警察であったためしもありません。ただ、そんな表現、言い回しがアメリカ国内の保守勢力に響き良かっただけです。国民の幸せという最も大切な観点に立てば、アメリカは軍事、経済の大国である必要など全くないのです。日本についても言えることですが、経済大国である必要性など幻想なのです。無駄な国際競争をやめて、日本に住む人の幸せ、充足を目指すべきだと思うのです。
ギボンに触発され、アメリカ、日本の衰退のミナモトを探って見ました。
私の妹、弟、それに友達の狭い範囲の実感ですが、彼らは自分の子供たちに合わせようとしているように見受けられます。子供の人格を認めるのは一つ、そしてそれを分かろうとするのは二つ目、それはそれで良いのですが、親であり大人である彼らが、子供世界にまで降りてしまっているのです。それがいかにも理解ある親、大人のやり方だと言わんばかりに、疑問すら挟んでいないようなのです。
子供のレベルで話し、物判りの良い大人になろうとしているのです。これは明らかに間違っています。恐ろしいことは、社会全体が子供の世界に大人が合わせることを良しとする方向に動いていることです。早く言えば、甘やかされた“スポイルド・キッズ”を量産していることになります。子供の方も、いつまで経っても、自己形成ができず、自我の覚醒もしないまま、大人になってしまいます。なんせ行き詰まり、困った時には、お父ちゃん、お母ちゃんが助けにきてくれるのですから…。
肝心なのは、我々の世代でも自分自身をシカと持っている人が少ないことで、マスコミに乗せられやすい人間が圧倒的多数ですから、その子供たちに独立した自己を持て!と要求する方が無理なのかもしれません。
日本でも、若者文化と呼んでも良いようなカルチャーが幅を利かせています。インターネット、スマートフォンは一つのツール、便利な道具で、それが絶対ではないということは分かってはいるのでしょうけど、それにハマリ、溺れてしまっているように見受けられます。従って、彼らの素早く得られる知識の幅は広くても非常に皮層的で、そこから得た情報を選択し、自分で判断することすらしません。できません。それらの情報の選択に迷い、後戻りし、悩み、選ぶ過程がスッポリと抜け落ちてしまっているように見受けられるのです。
アメリカも日本も“幼児化”しているのです。甘やかされ、自己中心になり、自己愛だけが強く、冷静に相手の意見を聞き理論立てて反論する、自分の意見を筋道立てて話すことができなくなっているのです。そして、恐ろしいのはこの“幼児化”という現象は、相手に対する不寛容に結びつき易く、手っ取り早い暴力に走る傾向があることです。
政治の統率者、あらゆる宗教の教祖にとってこれほど扱いやすい集団はありません。声高に呪文を繰り返し誦えるだけで、あっさり洗脳されてしまう世代を生み出しているのです。
国民全体の幼児化を生み出しているのは、大の大人が若者、子供に迎合しようとする態度なのです。
どうにも手に余る固い話になってしまいました。
ローマが崩壊したのはローマ人が幼児化したからだ、とはギボン先生書いていませんが、私が比較的よく知るアメリカと日本の幼児化は異様に見えますし、それが国の崩壊に繋がりかねないと危惧しています。
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