第850回:消えた聖徳太子…
海外を旅行し、国境を越えるたびに貨幣、紙幣が変わり、目新しいデザインのものだったりするので、結構それが楽しみです。逆に、使い残しのコインだけならまだしも、紙幣が残り往生することもありますが…。
日本人がアメリカに来て手にする紙幣は、サイズが皆同じでいずれも緑っぽい色合いなので戸惑うことがあるようです。1ドルも100ドルも同じサイズ、同じ色なのです。そして紙幣に印刷されているのは政治がらみの人物ばかりで、文学者や芸術家がありません(そんな著名な、優れた人物がアメリカにいないせいでもあるでしょうけど)。1ドルはジョージ・ワシントン、5ドルはリンカーン、10ドルはハミルトン、20ドルはアンドリュー・ジャクソン、50ドルはグラント、100ドルはベンジミン・フランクリンで、この顔ぶれは全く変わりません。
一時期、トマス・ジェファーソンの2ドル紙幣が出ましたが、人気がなかったのかどうか、今では滅多に見かけません。顔ぶれは全く同じですが、発行年によって微妙な違いがあります。もちろん、偽金、偽紙幣を作れないように微妙な仕掛けを施し、それを年々変えているようですが、他にも発行時の日本で言えば大蔵大臣に当たる人のサインがあり、それが異なります。
でも、日本のように、四六時中紙幣の顔を取り換えたりしません。
私が若かりし頃、初めて日本に長期滞在した時、“聖徳太子”が全盛でした。
日本人にこの人誰?と訊いても、大昔の偉い人とか、初めて憲法を作った人、中国に遣隋使を派遣し、中国の文化、文明を積極的に取り入れた人、法隆寺を建てた人、十人が同時に話をしてもそれをすべて聞き分けられた人というばかりでさっぱり要領を得ませんでした。優れた政治家であったというのです。
当時、1000円、5000円、1万円札がすべて“聖徳太子”様がおヘラを持っている図柄でした。戦前には十円札のモデルにもなっていたようです。
最近、日本へ行っても、“聖徳太子”にお目にかかることはまずありません。一体どうしたのかな~、どこに消えたのかな~と雑学の大家みたいなウチの旦那さんにお伺いを立てたところ、あの肖像は“聖徳太子”死後100年も経ってから、全くの想像で描かれたもので、彼の業績と言われてきたことの大半が後世の歴史家の捏造で、事実でないことが分かってきたからではないかと言っています。
500円はコインなり、ワンコインといえば100円ではなく、500円コインを指すようになりましたが、私が知らない時代?では、500円札は“岩倉具視”と相場が決まっていたともウチの大家が言っています。そして、100円札は“板垣退助”一本槍だったとも言っています。
ところが最近、戸惑うほど顔ぶれが変わり、1000円札でも“夏目漱石”、“野口英世”、彼の名前位は知っていますが、“伊藤博文”、そして“北里柴三郎”になると、この人だ~れの領域になってしまいます。5000円の方はもっと馴染みが薄く、“新戸部稲造”、“樋口一葉”、“津田梅子”となると、まるでどこの誰となってしまいます。1万円は“福沢諭吉”そしてこれから“渋沢栄一”と目まぐるしく変わります。
何か決まりがあるのか、天皇の顔は紙幣に使いません。イギリスでは長生きしたエリザベス女王(全く歳を取らない不思議な顔で)ばかりの紙幣でしが、あれは面白味に欠けます。
歴史上の有名人なら、“坂本龍馬”、“西郷隆盛”の紙幣がないのはチョット不思議な気がします。もっと高額の紙幣のために、例えば10万円とか100万円紙幣を発行する時のために、とって置いているのかしら…。
アメリカのマフィア、ギャングたちは、親愛の情を込めていたかどうか判りませんが、100ドル札のことを“ベニー”(ベンジャミン・フランクリンの愛称)と呼んでいましたが、日本では貧乏学生もヤクザも、こうも頻繁に紙幣の顔が変わると、“夏目クン”、とか“一葉ちゃん”と呼びならわすことが難しいのではないかと思います。
まー、それだけ日本に絵になる人物が多いとも言えますが、政治家だけでなく、芸術家、学者、小説家の顔を紙幣に使うのは、良いアイディアだと思います。
ユニークで色鮮やかだったフランスのフラン紙幣、思いっきりハデ、ハデしく、馬鹿でかい紙幣がユーロに切り替えられてから、ユーロは人間の顔は一切なしの建物だけの図柄になってしまい、これまた全く味もそっけもなくなってしまいました。
紙幣の目的はもちろん誰が見ても分かりやすく、偽紙幣を作り難いという絶対的な使命があるのでしょうけど、もっと面白いユニークなデザインに意匠を凝らしても良いのではないかと思います。
いっそのこと、公募展などをして一般から募ると、もっと面白い紙幣が生まれるのではないでしょうか。
第851回:4年に一度のお祭り騒ぎ
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