第51回:ウンデッドニー占拠事件 その4
ウンデッドニーの占拠、ロックアウトは、西部開拓以来、インディアンの問題を引きずっていることと、レッドパワーという運動が存在することを全米に知らしめる効果はあったが、占拠そのものの実質的戦果はなきに等しかった。
きっかけになった退廃した部族の政治家リチャード・ウイルソンを辞任させることすらできず、ただ公正な選挙を行うことと合衆国軍(ダコタ州兵だが)を進駐し、ウンデッドニー、パインリッジ・インディアン居留地内で、リチャード・ウイルソンの私兵団とAIM(レッドパワーの戦士)とが抗争を始めないように、青ヘルメットの国連平和部隊よろしく駐在を受け入れただけだった。
全米の注目を集め、ウンデッドニーを支援することが、アメリカの良心だとばかり盛り上がったオグララ・スー族の独立、自治運動は、なんら成果を上げることなく尻切れトンボのような終わり方をしたのだ。
ラッセル・ミーンズ(Russell Means)
オグララ・ラコタ族、生まれたのはパインリッジ・インディアン居留地だったが、早くからAIM(アメリカン・
インディアン・ムーブメント)に加わり、主に中西部のインディアン居留地を流れ歩いていた。
故郷のパインリッジのウンデッドニーでロックアウトが行われた時、
いち早く駆けつけてはいるが、発起人ではない。
ウンデッドニーでの選挙に敗れた後も、常にインディアン開放運動を展開し、
ニューメキシコの州知事に立候補したり、ラルフ・ネイダーの大統領選に加わったりしている。
自伝的な本も出版し、映画、テレビにも出演している。
5度結婚し、ガンに罹ったが、西洋医学を否定し、2012年に死亡。
リチャード・ウイルソン(Richard A. Wilson;Dick Wilson)
ウンデッドニー占拠事件の悪役を演じた感があるが、彼を支持したスー族もいたことは無視できない。
ラッセル・ミーンズと違い、リチャード・ウイルソンは生涯ほとんどパインリッジ居留地を離れなかった。
1974年の居留地の代表者、政務官の選挙に勝利してから、彼の反対派、ラッセル・ミーンズ
支持者への弾圧、迫害はすざまじいものがあり、50人は殺されたと言われている。
その上、反対派の家族に対してリチャードが組織した私兵が暴力、
強姦を繰り返し、居留地内に住めなくしたと言われている。
この運動の末路だが、リチャード・ウイルソンは任期が終わる1974年までパインリッジ居留地の長で居続け、同じ年に行われた選挙に再度出馬した。相手候補はAIMのラッセル・ミーンズだった。この選挙には大掛かりな不正があったと言われているが、リチャード・ウイルソンが勝った。何のことはない、全米を巻き込んだウンデッドニーを拠点としたレッドパワー運動は、元凶となっていたリチャードすら排除できず、それどころかリチャードを再選して終わったのだ。
私には、あったと言われている選挙の不正がどの様なものであったか、実際に不正があったのかどうかを判断する材料を持たない。だが、外から駆けつけたインディアン運動の闘士、ラッセル・ミーンズを煙たく思うオグララ・スー族の有権者が多くいたとしても、驚くに足らないと思う。細分化されたインディアン社会の問題の複雑さを見る思いがする。
最大多数の最大幸福を目指す民主主義は、政治形体として最上のものではなく、国を統治するための一つの手段に過ぎず、それがベストなのではなく、ほかの治世のやり方より現時点おいてベターだという理由で、西欧社会が長い年月をかけて熟させてきた統治形体だ。住人の総選挙がもたらす政治が地球上のどの地域、どの民族にも当てはまるものではない。その上、民主主義はその集団の文化、教育、政治意識の成熟が要求されるものだ。
アメリカが危うい足取りで築き上げてきた民衆主義、たとえそれがアメリカ的なものであるにしろ、どうにか稼働するようになるまで膨大な人命が失われてきた。南北戦争で死んだアメリカ人の数は、独立戦争、第一次世界大戦、第二次世界対戦、対スペイン戦争、ベトナム戦争、朝鮮戦争、アフガン戦争などアメリカが民主主義の名において関わってきたすべての戦争の総計より多い。
国内での抗争がいかに地元住民を巻き込み、悲惨な状態に陥れるかが知れる。その中に西部開拓に伴い、殺され続けてきた原住民は含まれていない。確かに、サンドクリークやウンデッドニーの虐殺は数だけから言えば、少ない。ましてや、現在進行形で行われている戦争、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ爆撃がもたらしている死傷者数と比べると取るに足らない小さな事件とも言える。戦争、とりわけ侵略戦争は、そこに住む人を盛大に巻き込む。
日本が行った中国侵略で殺した人の総計はあまりに膨大すぎて、掴めていない。これは“ナニナニの戦い”で敵味方の死傷者は何人という統計に現れない地元民が大半だからだ。日本の軍人が一方的に住民を殺しまくったからだ。
明治維新が世界史上に例をみない平和的革命であったことは確かだ。その後、暗中模索するように立憲君主制を築き上げてきたのだが、50年と経たぬうちに軍部の暴走を知りながら、それを止める機能を失った。立憲君主制という民主主義のバリエーションの一つが日本ではあっさり崩れたのだ。
-…つづく
第52回:終章
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